書評日記 第27冊
水中都市・デンドロカカリヤ 安部公房
新潮文庫

 今週の一冊めは、安部公房の「第4氷河期」にしようと思ったんだけど、どーしても見つからないので(引っ越した時にどこかに紛れ込んでしまっている。)、「水中都市・デンドロカカリヤ」で代用する。(おいおい)

 安部公房の本は、一応通読しているはずなのだが、どれがどの本(文庫本)に入っていたのがよく覚えていない。実際、『水中人になった人類が陸に上がって涙を流す』話を、水中都市と勘違いしていた。これは、「第4氷河期」のラストシーンなのである。(これは、ネタばらしにならないと思う。なぜならば、このラストシーンはほんとうに象徴的なだけのシーンであるから。)「デンドロカカリヤ」の方は、『コモン君が街路樹になってしまう』話である。なお、私のおすすめは、「砂の女」(これはあまりにも有名。映画もみると良い。)・「箱男」・「人間そっくり」・「方舟さくら丸」、そして、「第4氷河期」である。すべて新潮社の文庫本で出ているので手に入りやすいと思う。

 さて、うわっつらの安部公房紹介をしても仕方が無いので、ちょっと脱線。
 読むとわかると思うけど、安部公房は理系な人である。作家に文系とか理系とかあるのかと訝しがられる諸氏諸嬢もおられると思うが、私(理系である)のから見ると<におい>が違う。特に、理系の工学系である人は同じ<におい>がそこにはある。いまひとつ、言葉にならないが、似たような<におい>の作家を云えば、石川栄輔がそうである。理論系ではなく、なにかがしがしとした歯車のようなものが安部公房の文章には漂っている。(蛇足だが、「カンガルー・ノート」はリンチの英語をもじったもの、ガープの世界に対して「カーブの向こう」といった、くだらないしゃれも工学系特有の気質であると思う。)
 だから、私のなかの分類ではレッキとしたSF作家である。アジモフとかP=K=ディック、カート=ヴォネガット(私のペンネームの由来)と同列(なお、ヴォネガット以外は、みな死人)に扱っている。

 先にも書いたが、私は「砂の女」の映画を見ている。たしか順序としては、映画のほうが先だったような気がする。ちょっとだけ内容を話すと、ある男が砂にすむ昆虫を探しにいくのだが、そこに砂に埋もれつつある女の家がある。彼はその女の家に住み込むことになるのだけど、毎日毎日砂がくずれてくるので(家は、砂でできたすり鉢の真ん中にある)日々その砂をかき出さなければいけない。まさに、蟻地獄そのままの話なんだが、これは松本零士の「昆虫シリーズ」に通づるものがある。(もちろん、松本零士が「砂の女」を読んでいた可能性は高い。)そんな、虫という魂のないところの世界(甲殻ということで、内向が強調される。)が「砂の女」にはある。

 書評というにはちょっと文章がつたないし、日記にしてはその日のことが書いていないし(しかし、その日の気分が書いてあることは確か)・・・。
 10年なんてすぐですって? ってことは、3000冊はあーっという間にできちゃった、ってな具合にはならんだろうな、やっぱ。

update: 1996/06/24
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