書評日記 第86冊
アリオン 安彦良和
徳間文庫

 少年という言葉になんらかの幻想を持って、それを形にした漫画、そして、それを追求している漫画家が、安彦良和であり、その発端が「アリオン」だと思う。
 当時、中学生であった俺は、本当の意味で「少年」であった。そして、「アリオン」の中での「少年」と自らの少年という現実を比べ、共感し、少年の成長というシナリオにあこがれたものであった。ま、いわゆるミーハーなアニメ少年であったのかもしれない。
 今となって振り返ってみれば、もうすこし、発展性のありそうな漫画にのめり込むべきではなかったか、と思わぬこともない。というのも、今、冷静に分析してみれば、「アリオン」はその少年としての成長期を描いた漫画であるにもかかわらず、愛する(または恋する)少女を救い出したものの、それの姿は結局のところ「少年」であった。

 「モラトリアム」という言葉が流行ったのは何時の頃だったろうか。「新人類」という言葉が死語になってしまった今、もやはや、日本の人口の3分の1は、「新人類」になってしまった、そして、「モラトリアム」世代が、大人という形になってしまった、と思うことがある。
 そうなった今、この日本はどこに行くのか、と心配になることがある。「大人」になりたくない少年乃至少女達が、形だけの「大人」になってしまったとき、今まで「大人」であった者達は、どうするのか、と思うのだが・・・ま、そんなことは徒労である。現実の世界は、「モラトリアム」を「モラトリアム」として残しておくほど、余裕はない。強引に大人社会に組み込まれ、男性社会に組み込まれていく。そういった現実を変えようとするのか、それとも変えようとしているのか、それとも変えよういう気があるのか、よくわからんけど、なんとなく働いて、なんとなく金を稼ぎ、なんとなく快楽を追求する。そういう、現実に耐えられないときがある。ま、時々であるが。
 保守層が厚いほど、現実の社会は安定するし、それが普段の姿なのである。わかってはいるんだけどね。ま、時々かんがえてみる。

 さて、少年を描く巨匠、安彦良和は「虹のトロツキー」という満州国の立国をテーマにした漫画を描いている。満州といえば、関東軍が強引に侵略し、フギ(漢字を忘れた)を皇帝に仕立てあげてしまい、日本の植民地とした歴史がある。
 ここで起きた、数々の悲劇&罪はさておき、満州国家は、最初は、アジア国家の「理想郷」として発足しているのである。大日本帝国は、満州という場所に、開拓団を送った。ひとびとは、懸命に働き、助け合い、ある特殊な満州の文化を開花させた。満映は、800本程度作られたそうである。ま、時事ニュース込みであるにしろ、「文化」と呼ばれるにふさわしい、その「かけら」はわずかであるが残る。

 その理想郷ともいえる(少なくとも満州にいる日本人には理想だった。)満州がつぶれてしまったのは、やはり「理想」に近すぎたからでないかと思う。現実の世界では、あの程度の「理想」でさえ叶うものではない、という歴史的な教訓であろうか。

 さて、話を俺に戻すと、「モラトリアム」世代であり、「少年」への憧れと、そして、自分で云うのもなんであるが、少年であることの純粋さを維持しようとしている俺にとって、その「理想」を捨てるべきなのか、それとも、己の核を苦しみつつも抱えていくべきなのか、未だに結論がでていない。
 ま、いうなれば、この態度こそが「モラトリアム」を自認する「モラトリアム」思想ゆえなのであるが。

update: 1996/08/30
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