書評日記 第88冊
夜の言葉 アシュラ=ル=グイン
同時代ライブラリー

 感受性が高いときは、再読が一番、というのは、誰が云ったがしらないけども・・・いえ、俺の言葉です。ま、感覚を敏感に保っているのは疲れるものです。だから、ときどき、「鈍感」になりたくなる。でもね、いつまでも「鈍感」では困るのよ。なにもわからない、なにも気付かない、なにも知りたくない、状況ってのは、ま、あぶないものですよね。
 で、そーいうときは、以前読んだ本を、再び読んでみるわけです。俺、あんまり「再読」はしたことがないんですよね。一度読んだ本は、だいたい内容を覚えているし、どんどん新しい本が出るものだから、それに遅れないようにどんどん買って読む。でも、ね、ふと思うのは、それって、単なる「躁状態」じゃないかな、と思うときがあります。古い自分をどんどん切り捨てて行くのはいいけれど、ひょっとしたら、その勢いの中で、なにか大切なものを切り捨ててしまったのではないか。と不安になる。そんなときは、ま、「再読」ですね。それほど昔ではないけれど、就職する前に持っていた「夢」の部分を思い出すのもいいかもしれません。

 というわけで、アシュラ=ル=グインの「夜の言葉」(同時代ライブラリー)を再読しましたので、これを紹介します。
 ル=グインは、女性SF作家です。あえて、「女性」と冠するのは、ま、この「夜の言葉」が女性という立場で書かれているからです。当時のアメリカSF界と現在の日本SF界を比較するには、ちょっと違いすぎる面もあるので、日本の風土にあわない部分があるかもしれませんが、ル=グインは当時の女性のスタンスを確立する運動の台頭となっていたようです。こういうややこしい言い回しを使うのは、彼女が、それらの団体のリーダーではなかったからです。当時のSF界は、男性30人に対して、女性1人の割合だったそうです。
 現在のSFも多少そんな感じがしないでもありませんが、SFには大抵ヒーローが存在します。はい、わかりますか。この時点で何がおかしいのか。答えは「ヒーロー」の部分がおかしいわけです。何故、英雄が男なのか。そういうことです。その辺の部分をル=グインは考えつづけたのです。

 では、「SFには大抵ヒロインがいます。」と云えばいいのでしょうか。それとも、「SFには大抵ヒーローやヒロインがいます。」と云えばいいのでしょうか。
 多分、どちらも妥当ではないと思います。なぜならば、それらは、先の文句を意識しているに過ぎないから、です。ま、この辺は、男性上位主義にどっぷり浸かってしまった男性である俺だから、思うのかもしれません。ま、この辺は、それぞれ考えて下さい。

 さて、「夜の言葉」を再読して再発見したのは、それではなく、「創作」という手法というか、その意思です。
 ものを作るという意思。なんで、こうやって、書評日記を書いているのかという意思。そういうのを思い出し、かつ、改めて思い直しました。ま、具体的のどうというわけではないにしろ、これからはもうちょっと違った意味で毎日を送れそうです。 そういうものが、この本には溢れています。
ゆっくり読んでください。彼女の言葉が、「日本語」で、心に響くと思います。

update: 1996/09/02
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