書評日記 第103冊
ルパン三世 モンキー・パンチ
双葉社

 やっと、今週が終わった。実は俺、来週1週間は、「夏期休暇」なのであります。へへへ、なんか、この秋の盛りに「夏期」というのも変な話なのですが、うちの会社、「夏期特別休暇は、7月から9月のうちに取るよーに。じゃないと、なくなっちゃうと。」という制度なもので、はあ、すべりこみセーフの夏休みです。
 いいねえ、うん、「書評日記」もお休みにしちゃおうかしらん。いっそのこと、メールも見ずに(少なくとも、会社宛のメールは見れません)他人の日記も見ずに、ゆっくり「ボサノバ」ギターでも弾いてようかしらん。そう、なぜ「ボサノバ」なのか・・・これも、3コードで簡単なのだ。ぐるぐるぐるぐる30分間もやってられるぞ。

 最近、欲しい漫画といえば、「ワイルド7」と「ラブリン・モンロー」の後半であろうか。「ラブリン・モンロー」は9巻で全巻だと思ったのだが、なんだ、まだまだ先があるじゃないか。ま、娼婦編を読んでの感想もいいのだけれど、どーせなら、後半(?)も読みたいし、おいおい古本で探しておこうと思う。「ワイルド7」は、ま、なんというか揃えておきたい逸品。文庫で再版されているら、それを買ってもいいのだけれど、やっぱり単行本で読みたいよな。

 モンキー・パンチの「ルパン三世」(双葉社)を買ったのもそういう動機からである。当時にしても、現在の数々の漫画と比較しても、決して見劣りしないし、いや、むしろ、「比較」という言葉があてはまらない独特の雰囲気をもっている漫画である。

 モンキー・パンチの描きたい事、ってなんだろう、と考える。「テーマ」とか、「ストーリー」とか、「画風」とか、いろいろ考えてみるのだが、そのどれも彼にとっては、単なる「手段」に過ぎないのではないかと思う。
 なんらかの「テーマ」を以って、作品を作ることは、ごく自然なのことだと思うし、俺にとっては、一時期は「テーマ」こそ、それを反映させた「ストーリー」こそが、漫画の主体性であると考えていた時期がある。
 ま、それは、間違いではないだろう。少なくとも半分は。
 ただ、すべてをその単一な価値観で括ってしまう間違いを犯してしまったわけだ、当時の俺は。

 宮崎駿の作る漫画や映画のように、何を作っても宮崎駿の「優しい心」が反映され、それが前面に見えてくるような作り方をされる作品もある。これに対し、モンキー・パンチに作る作品は、確かにモンキー・パンチではあるものの、それが何であると「言葉」にし難い作家も珍しい。「ルパン」以外の作品を読んでも、レッキとしたモンキー・パンチがそこに居るのにも関らず、その本質が見えてこない、「本質=モンキー・パンチ」としか見えてこない作品を彼は造る。

 ま、もっとも、そーいうことを考えなくても、「ルパン三世」はなかなか面白い。そう、TVアニメでは、初代の「ルパン」が一番「ルパン」らしいという評価が、与えられている。「冷酷無比」でありながら「女性に弱い」とかなんとか。
 そういう単純な評価があてはまらないのが、モンキー・パンチの作品ではないか、と思うのだが、諸君諸嬢は、いかがであろうか。

 ま、単純に「ナンセンス」の極致なのかもしれないが。

update: 1996/09/09
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