書評日記 第179冊
原節子伝説 千葉伸夫
翔泳社

 別に年末年始だからといって書評日記を止めるわけでもなく、めでたいわけでもない。というのも、これって日付が書いていないからね。日記とはいえ、書き溜めをしたりしているから、通常人の進行とは全然関係ない。
 読んでくださる人が一人でもいればいいわけだし、後々には出版することも考えあわせれば、さほど他人に合わせる必要もないでしょう。うん。
 とりあえずは、201冊めを目指して、こつこつと書いていくのが俺の姿というものではないでしょうか。

 「原節子伝説」は、阿佐ヶ谷の別宅の近くにある古本屋で買ったもの。
 俺にとっては、スカーレット・オハラを演じるヴィヴィアン・リーと並び、30代の原節子は俺にとって大学時代以来のアイドルなわけだ。
 別に歳がどうのこうのというわけではないのだが、所謂「女」の魅力が出てくるのは30歳を過ぎてから、と思うのは俺だけではないと思う。それまでは、人生経験の少なさか、俺にとっては「少女」として映るのは何故だろうか。

 知識の豊富さというのではなくて、色々な体験をしてきた人間の厚みというものが彼女達を美しく見せるのだと思う。
 そうそう、内田春菊の「私が水が好きなわけ」にあったが、いい歳のおじさん達が、若い女の子を好きなのは、結局のところ「ロリコン」だというのは同感である。
 ちなみに、巨乳にこだわる男性は、すべて「マザコン」なのだよ。
 ははははは。まあ、人それぞれでよろしいのですが、「いい男」&「いい女」を見誤らないようにして頂戴……というのが俺の本音だろうか。
 で、まあ、俺の場合は、目下「いい男」に進行中、というかなんというか。よくわかりません。所詮、作家なんてものを目指すのは、男性社会からのドロップアウトであることは変わりないし、現在の日本では出世できない男には違いありません。……まあね、日本のだめ男にならないだけ、まだマシというところなのかもしれません。

 そう、別に日本の男すべてがダメというわけでもなく、少なくとも、俺の読んだ感じでは参考文献に含まれる男性達は俺にとって「いい男」であると言い切ってしまうとあなたは疑問を持たれるだろうか。
 交友関係を披露しているわけではなく、俺が本物と思った人達がいて、その人達に追随したいと思っているのが、俺が「参考文献」とする意味なのですよ。うん。

 んで、俺にとっての「いい女」の定義は?といえば「独立した女性」というのが手っ取り早い言い方なんだけど、誤解の無いようにもう少し補足しておけば、「自分の頭を使って物事を決定できる女性」というところだろうか。
 こうなるとちょっと「結婚」という2文字は不要になってくる。もし、俺が女性だったならば、こういう女性になりたい、こう生きてみたい、という女性に惚れるわけなのだが……、果たして其れが通じるかどうかは別問題として、外見に惚れ易い俺としては、内面を磨いてくださいとしか言いようがありません。
 そういう意味で、メールを貰ったり、日記を読んだりした方が、率直に相手の内面を覗くことができるし、妙な外見に引きずられない分だけ正しい判断が出来る、といったところだろうか。

 そう、渋谷の中を歩いていて、俺はブスな女性に会ったことがない。通勤電車の中でもそうで、喫茶店の中でもそう。ああ、うん、惚れっぽいんです、俺は。
 ただ、幸い(?)にもナンパをする勇気もないし、眺めているだけで満足な部分もあるし、そういう敷居が低いものだから、俺から選ぶことは無い、と申し上げればいいのでしょうか。

 貴女の望むままに私を変化させます……というのが俺の本心なのかもしれない。

 女性なんて化粧をすれば随分綺麗になるもので、服だって髪だってプロにコーディネイトして貰えば、外見上、美しくなるのは当然だと思っている。
 それに、10歳代の女性は「無邪気な女」を演出し、20歳代の女性は「かわいい女」を演出をし、30歳代の女性は「生きる女」を演出し、だんだんと人間の厚みを増していくのは、やはり、その人その人が生きてきた年輪だと思うし、それこそが、内面を磨き、俺の好みの女性となる最大の要素だと思う……ってさあ、俺に好かれたところで困ると思うのだが。でも、そういうことを考えている男性は多いと思うし、俺はそういう男性になりたいし、そういう男性こそが魅力ある「いい男」だと思う。

 そう、小津安は結婚をしなかった。常に原節子を気遣い、彼女の美しさを引き出していこうとした。
 そういう常に見られているという意識が、彼女を美しく保ち、彼女の人生を魅力的に保ったというのは、俺の見解である。

 銀幕に映る彼女はいつまでも美しく、俺の瞳に映る。
 そんなように貴女を保ちたい一心……と言ったら、貴女はお笑いになるだろうか。

update: 1996/12/30
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