書評日記 第258冊
明暗 夏目漱石
新潮文庫

 水村美苗の「続明暗」とセットで購入した。薦められるままに本を読むわけではないのだが、何故か最近は夏目漱石の文学にあたらなければいけない気がする。関連性というのは、安易なものではないのだと思うが、まあ、広い世界を夢見るのも悪くはないだろう。

 夏目漱石の絶筆の小説であり、未完な小説なわけだが、何処を切り取っても彼の人格が出てくるのであれば、未完という事実はさほど問題ではない。むしろ、未完であるが故に評価される妙な部分もある。これは、ミロのヴィーナスに両腕が無いのと同じことであろう。
 
 夏目漱石の後期の小説を読んでいないので解からないが、「それから」や「三四郎」とは全く違った彩りが感じられるのは俺だけだろうか。ある意味で、とても前衛とも思える人物の描き方に、日本の文学の代表者である夏目漱石ではなくて、異端者としての彼の姿を垣間見る。
 文庫にしては厚い「明暗」の半ば(?)にて、津田の言動から、トーマス・マン著「魔の上」を思い出すのは難しくない。彼の心理描写の中から、何かを掴み取らねばならぬという役目があり、鈍感な自分を感じつつも、さ迷える自分を密かに感じつつある、という立場が津田には与えられる。

 「明暗」の一冊を読んだ感想は、矢張り発展しつつある夏目漱石の姿であった。多分、大著となるであろう、しかし、死期を悟るのか、他の小説とは一切違った書き方をして、我が道を、の部分を前面に押し出して書き綴る彼の姿を想うのは、絶筆と未完という事実を知ってしまっているからだろうか。

 実は「続明暗」を読み終えて、これを書いている。津田、お延、静子という3者を焦点にした水村美苗の勇気を称えると共に、もっと広がりがあったであろう様々な登場人物を広げる「明暗」には、別々の評価を俺は与えたい。
 津田を取り巻く友人達が、彼を何処かに導くと想像するのはた易い。果たして、以前と同じような読者に判断を委ねる形での結末を夏目漱石が用意したかどうかを、俺が知ることは出来ない。しかし、男性の目から見れば、女性を女性として描き過ぎる「続明暗」よりも、津田とその友人に焦点をあてた形での、放り投げが行われたのではないか、と想像ができる。当然、これが「続明暗」を卑下する言葉ではないことを此処に記しておく。

update: 1997/02/22
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