書評日記 第360冊
大東亜科學綺譚 荒俣宏
ちくま文庫

 文学に関する博学者といえば、澁澤龍彦と荒俣宏だと思う。他にもそれぞれの分野で博識を語るひとはいるかもしれないが、この二人のような独創性(?)を持つホンモノの「博識」を持つ人は少ないのではないだろうか。寺山修司「不思議図書館」がその雰囲気を多く持つのだが、彼でさえこの二人には遠く及ばないような気がする。
 路上観察家としての赤瀬川原平、その弟子の南しん坊も同様かもしれないのだが、「学術的な」という形容詞を関するに足るのか、逆に云えば一般大衆に媚びないという点で澁澤龍彦・荒俣宏の二人と赤瀬川原平・南しん坊のコンビとは全く違った地位を確立しているような気がする。この辺、妹尾河童・椎名誠・立花隆、と名を連ねていくと、「大衆メディア」という言葉が浮き上がってくる。そんなところとは別個に澁澤龍彦・荒俣宏の著作はあると思う。
 
 ホントのところは、荒俣宏が10年間コンピュータ会社に勤め、その後に独立したところに自分と似た部分を感じるのかもしれない。同じ「理系」というキーワードを共有する者が持つ親近感だろうか。それほど、私の中では「理系」という過去が現在の私を形成するのに重要な要因となっている。
 「技術ライター」という職業がある。コンピュータ雑誌の文章だとか、最近の科学技術の解説を書くような人のことである。……だが、私から見れば、多少きつい物言いにはなるのだが、彼等の文章は所詮技術的な説明文でしかない。説明文は横流しの知識と文章力で十分表立ったどころをこなすことができる。すなわち「ライター」でしかない職業的な文筆業でしかなく、「作家」の持つところの熱情とか固執とか個性とかいうものが出てこない。むろん、技術ライターに望まれるもの(これは新聞記者でもそうだろうが)はかの人の公平な視点にあり公平な文体にある。あくまで解説者に徹することが必要なのだが……私は、どちらかといえば「ライター」を嫌う傾向にある。そういうことなのだと思う。
 沢木耕太郎と辺見庸の場合、同じルポ出身なのだが、私個人の好として沢木耕太郎に私は軍配を上げたい。それは、文章の中に潜む沢木耕太郎という目だろうか。そういう立場の固辞が私の好みに合う。かの人の持っている「興味」を描き切る熱弁というものだと思う。かの人の熱弁を無視することはできない。それに私は興味を持つ。そういうところで、沢木耕太郎の熱弁は、私に麗しい。
 
 「大東亜科學綺譚」は一言で言えば科学の博学者を紹介した本である。現在云われるところの科学者とはちょっと違う、未だ「科学」がなんたるかが曖昧だった頃(とはいえ100年も前の話ではない)の科学を愛した人達の話である。
 人造人間・学天則を作った西村真琴、子供の科学を作った原田三夫、星製薬会社の星一(星新一の父)、徳川の末裔・徳川義親、中沢新一の父である中沢毅一、南洋に憧れる人達、生物学者である昭和天皇(裕仁)、ラストエンペラー・溥儀、等、こういう風に並べてみると、なんと荒俣宏はうまく博学者を拾い出してくるのだろうか、と感心しまう。明治・大正・昭和初期の頃は、日本の科学は未だ西洋を追いかけていた時期だし、そもそも「科学」自体が今のように科学技術としての地位を確立していなかったじきである。そんな混沌とした中から、あくまで東洋の本質にこだわった形で博学を愛する科学者達の紹介が為される。
 
 非常に不思議……なのか、それとも当然の帰結なのか、私も「子供の科学」が好きだったし、星新一の「人民は弱し官吏は強し」に少なからぬ感動を覚えたし、中沢新一には独自経路を辿って至ったし、昭和天皇の全国行脚、溥儀の告白、等々、それぞれの謎がひとつひとつ解明されるような快感を覚えた。
 共時性と云えば簡単だけれども、遺伝子学的に云えば、そういう過去を持ったから私はこういう人物になった。そしてこういう本を読みそういう読み方をするようになった、という因果関係があると思う。それが、今の私の根拠ある自信ではないだろうか。30歳前にして、ある程度の不惑を得たような気がする。むろん、ある程度に過ぎないのだが……。
 
 宮武外骨から流れる妙ちきりんな熱情は進化して荒俣宏に至っているのかもしれない。無論、宮武外骨を紹介したのは赤瀬川原平ではあるけれども。

update: 1997/11/25
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