書評日記 第370冊
後宮小説 酒見賢一
新潮文庫

 銀河という少女が銀正妃となって後宮軍を作るまでに至る話。
 多分、底本はあると思うのだが、アレンジの仕方がいまひとつ……と思わせるのは、底本に沿って話を進めているからなのかもしれない。
 いわゆる、中国趣味の小説としては三国志・水滸伝が筆頭に上げられるわけだが、ファンタジー小説を探してみると、小野不由美著「十二国史」シリーズが秀逸であると私は思う。
 
 「話し手の事情」が19世紀イギリスという舞台を設定して、その中で「性」を取り上げることで遊ぶ。「後宮小説」も同様に後宮という場を使って「性」を取り上げる。
 酒見賢一自身が「性文化」に対して本格的な興味を抱いているのかどうか。つまりは、高橋鉄のような視点を持つに至っているかどうか、は今一つ解かりかねる。そういう意味では、「性」を扱ってはいるが、内田春菊・山田詠美のような扱い方ではないのは一目瞭然というところだろうか。
 「後宮小説」では後宮という場所だから、性技の解説が必須……なはずなのだが、「話し手の事情」ほど詳しくは語られない。また、「話し手−」の難点を云えば、主人公・話し手が女であるにも関わらず、レズSM場面を詳細に語り、ホモSM場面に眉を顰める、というストーリー展開になってしまうのは、酒見賢一自身が男であるからではないのか。また、ゲイ・レズといった同性愛的なものに興味(?)を引かれない、いや、嫌悪感を覚えるという形でしか成し得ない典型的な男というものが彼自身にあるのを自覚していないからではないだろうか。
 むろん、作家は聖人(?)ではないし、研究者でもないわけだから、それほど本格的に突き詰めて研究する必要はない。だが、大江健三郎の云う「小説家=言葉を模索する人」という考え方をすれば、酒見賢一の描写への突き詰め方はあまり奥深いものではないような気がする。
 
 いろいろと文句を云ってしまうのだが、ひとつ彼が気付けば彼の創る世界は深くなるのではないか、と思うからだ。「家畜人ヤプー」のような「ドグラ・マグラ」のようなものを目指していたかどうかは判別しかねるが、少なくとも巷の安易な「癒し」や自分探し小説に辟易し始め、カルチャーセンターくずれの小説も避けてきた、という点では「後宮諸説」は十分評価に値すると思う。実際、平成元年にファンタジー小説大賞を受賞している。
 
 実は、ストーリーとしての物足りなさは、主人公・銀河の成長を描いていないという物足りなさに比例している。小野不由美がシリーズとして詳細に「国」と「人」を描いているのに比べれば、「後宮小説」は底本に沿い過ぎてしまった、という感じだろうか。
 いわゆる、ファンタジー小説に必須(?)であるアクションシーンが随分後ろに追いやられてしまっている構成の弱さが露呈してしまっている。これは後宮の性技の解説に慎重であったのに比べれば、後宮軍の中での銀河という少女の描き方が切羽詰まった枚数の足りないところに追いやれているからだろう。歴史なのか創作なのかが曖昧なのが問題か? 司馬遼太郎のように割り切るのもひとつのテだと思う。

 ともあれ、酒見賢一は若い(30歳ちょっと)はずだ。となれば、「話し手の事情」を描く力量を持つに至るのは、さすがと云うべきなのかもしれない……のか。
 

update: 1997/12/09
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