書評日記 第498冊
岸辺のない海 金井美恵子
日本文芸社 ISBN4-537-05040-3

 1974年初出。
 中島梓『夢を見るころを過ぎても』の中で偉そうな人として表現されていた作家。
 
 そのために第一印象は悪く、極めて批判的に読み進んだ。読み終わってわかったのだが、金井美恵子が25歳の頃の作品であって、ある程度若書きを許されていた時代、ということ私は知る。終わりの印象としては、二度と読みたくない、というほどに嫌悪感を覚えるものではなかったが、吉本ばななや栗本薫の本ほどには次々とこの作家の本を読みたいとは思わなかった。が、将来的にいくつか目に留まれば読むかもしれない、ぐらいの余裕はある。
 
 ストーリーたるものはこの作品の中にはない。愚痴っぽい青年は世間と自分と関係に戸惑うのだが、さして困っている風にも思えず、かつ次々と女性が出てくるところが村上春樹の小説を想起させる。男性作家である村上春樹の小説では主人公が直接的にセックスから離れられない思考をしているのに対し、女性作家である金井美恵子は同じく男性を主人公にするもののセックスの回数は1回出てくるきりである。そういう意味では、作家である男女の違いはあるかもしれないが、ただ自分に居場所に悩む振りをするだけの(それはサルトルの『嘔吐』風ではあるけれど、決して其処には至らない)時間経過は、物語としての魅力は薄い。
 が、エクリチュールとしての楽しみ、羅列されるモノは俗悪な資本主義物品でない分だけ、作品世界を統一感あるものとして仕上げられているように思える。一頁を数秒で読み切ってしまう、消費行動としての読書が『岸辺のない海』にはふさわしいのかもしれない。実際、4時間未満で読み終えたことと、頭の中で音読するには眠たくなってしまう(知的な雰囲気はあるのだが決して知的ではない)ことが、証拠にあげられる。

 と、他人が読んで飽きるほどには否定的ではないが、金井美恵子の出発点としての作品としての価値を認めるためには十分である。
 
 作中人物としての主人公の青年を男性である私に照らし合わせ観察してみれば、かの人物の言動・思想は作中人物の域を脱しない。そういう意味でも村上春樹の作中人物に似ている。それは、ひょっとすれば評価すべきことなのだと思ったりする。

update: 1999/05/27
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