書評日記 第538冊
薔薇の女 笠井潔
創元推理文庫

 現在は「哲学者の密室」を読んでいる途中なのだが、長い(上下二巻で千ページ以上ある)のでカケルシリーズの第三冊目をメモしておこう。
 カケルシリーズを読み続けているのは「現象とテロリズム」を読み下し、「哲学者の密室」に至りたいからだ。私はシリーズものを読むのを得意とはしないけれど(これはそういう年齢を過ぎてしまったのかもしれないが)、連作の後ろから読むような無粋な真似はしたくはない。解説から本を読むようなことはしたくはない……と個人的に思い込んでいるので、こういうことになる。もちろん、笠井潔という推理小説家が「テロ」について書いていることに起因して、「バイバイ・エンジェル」のタイトルと現象学の面白さに導かれて、あの分厚い二冊本を横に見ながら(本屋の棚だけれども)、決して薄いとはいえない前三作を読むのは、あまり推理小説に親しんでいない私が「推理小説」という分野にも何かがある、と思い始めたからである。もちろん、森博嗣や京極夏彦がベストセラー作家として名を馳せた/馳せていることもあるけれども、瀬名秀明や平野啓一郎とは違って、形式(スタイル)を求めるのではなく回帰とも言える内容に拘ろうと私がしていたからだ。文芸的な技法または社会的に最先端である流行に自分の読書傾向/創作方法を沿わせるのではなくて、大げさに言えば十年先にも同じ傾向を持てるほどの実を得たいためである。
 ただし、私がこの小難しい現象学講義を好むのはウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を好む(またそれを読んでいる自分を好む)という系列にあるものの、未読ではあるが、吉本隆明の「共同幻想論」(これはフーコーからの派生)やミシェル・フーコーの「言葉と歴史」、ユングの「タイプ論」、カントの「純粋理性批判」を傍らに置いておくのと同等の意味がある。まあ、手近なところでコリン・ウィルソンの「ユング」や「シュタイナー」を読んでいたりするけれど。
 難解さである快楽を擬似的に味わうのも面白ければ、平易な言葉では掠れてしまうニュアンス(河合隼雄の言葉が反証になるけれど)を的確にチョークの如く記しておく技術を覚える意味合いもある。
 そういうところで、私にとって笠井潔の集中する「テロリズム」には今ひとつ政治的な熱狂さ――を彼は得ているのか?――を得ることはできないが、現象学を紐解くシーンは一種の哲学を聴いている快さを覚え、また、ノってしまう自分を見出して楽しむことができる。

update: 1999/11/01
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