書評日記 第587冊
万博とストリップ 荒俣宏
集英社新書 ISBN4-08-720011-6

 現在午前一時二十二分。カニバ・カーニバルの続きを書こうとして躊躇している途中。ちょっと出だしを書いてみて気に入らないので xqsmapi のヘルプを書こうかと QX のヘルプを見てみたり MSDN を起動してみたり。苛々と就寝儀式のように繰り返されて逃げるかのようにして再び近づく。せめて一日のうちに一回は文章を書く時間を持とうということで書評日記を書いてみる。最初の封切の部分がうまくいかず逡巡する。
 カニバ・カーニバルはさしたるストーリーに沿って書いているわけではない。「ラーオ博士のサーカス」のように散発的で漫画チック且つジャンルを固定しない書き方をし、同時にジャンルを意識しない或いは混乱させるような読み方が出来るように努めている。「努めている」と書くとあたかも心身努力しているようだが寝不足と言語爆発による偏頭痛を別にすれば楽しい作業であり私にとって一番楽なスタイルなのである。
 浅田次郎の小説はほとんど読まないのだが、彼が直木賞を取ったときのインタビューを文言春秋で立ち読みし、デビューをした時のことを考えて月産五十枚をキープしていたことを知る。これは真似したい。文章を書けば書いただけうまくなる。これは漫画を描いていた時の実績で描かないと途端に不味くなる。プロならばコンスタントな量をキープすること。それが第一条件だ…とは云え、まだ満足な作品が出来ていないのだからそれ以前の問題といえるのだけれど。
 
 荒俣宏のような生き方もある。一〇年間プログラマをやったのち会社を辞めて文筆業に専念をする姿は今の自分に一番重ねてみたい姿なのだが、なによりも博学碩学で馴らしている荒俣宏やフランス文学に精通する澁澤龍彦に追随しようと目論むのが無謀なことだろう。本に魅せられて古本を買い込むために借金をしその借金を返すために文章を書き印税で更に古本を買うという生活は、創造的な文筆業とか文壇とか文芸批評だとかそういう学芸的なものから一番遠いところにあるような気がする。もちろん蔑視するのではなく憧れる。憧れるものの生活苦(なんだろうか)というか本と苦楽を共にするという生活は何処か常人とは違うところに幸せがあって羨ましい。いや、幸せとか快楽とかいう卑近なものではなくて、もっとこう仙人風な且つ隠居であり認められるという価値が別次元にあるかのような勢いだけの生活を想像してしまう。ほんとうのところは良く分からない。
 万博を調べる。一方で全く関係なくストリップの歴史を紐解く。そしてその両方が繋がっていることが分かる。博学(博識ではなくて)というものはそういう突如とした関連性を導き出す。時には誤ることもあるが、時代に則った科学が常に正しいとは限らないように、博学の仮説は誤ることもある、という程度である。学術的な根拠、論文提出用の参考資料を体系立てて集めることをやめるならば、いっぱしの直感的な憶測から道を切り開くのも悪くは無い。ごく一般的な人が忠臣蔵の研究をしていてかの人が亡くなった際に膨大な研究資料が発見される、こともある。所詮、期限付きの人生なのだから気の良く自分の身に合った手段を選ぶのが正しい。それが超整理法であれ京大式カードであれ抜書きノートであれパソコンへのデータ整理であれ積読方式であれ何だって構わない。一定の継続とある程度のバックグラウンドの広さがあれば、おのずと他の人には見えなかったものが見えてくる。私の場合、この書評日記がその役割を果たしている。
 と、「万博とストリップ」なのだが、さすがに新書と銘打つだけあるのか、散発な知識と事実を串刺しにする時間軸が通してある。最新技術とか栄誉ある文学とは違うが、俗な知識とはもっと違う。寺田寅彦とか南方熊楠と並び評されるべきなのか、な。

update: 2000/08/31
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