書評日記 第30冊
死後の恋 夢野久作
教養文庫

 今週はなんか早く過ぎてしまった気がする。さして理由は思い付かないのだけど(たぶん思い付かないということが理由なんだと思う。)、なんか、もう明日(いや今日、ん?、それとも元旦?)は週末だ。

 夢野久作著「死後の恋」は現代教養文庫で出ている。ただし、お買い求めになられる奇特な方がおられたならば、角川文庫の「ドグラ・マグラ」の方を買うといい。「ドグラ・マグラ」の表紙を出さなかったのは、文庫の表紙を見るとわかるけど、ちょっとなんだな、というところに黒べたが貼ってある。まことに(括弧付きの)「模範」な読者を排斥する良い手法ではあるのだけど、私も排除されそうになったクチなのであまりホめられたものではない。しかし、ときどき平積みになっていたり、よく見えるように立てかけてあったりするのだけど、あれは十分に許容された範囲なんだろうか。

 夢野久作の小説は、『いやはや・・・ナルホド・・・ハハハハハ』に代表されるちょっとキチガイっぽい登場人物がよく出てくる。どこぞのおじさんがいきなりやって来て、「ちょっと兄さん、いいハナシがあるんだけど」的なトートツさがある。これに対し良識的な大人がいいように(特に思想的に)いたぶられる様という方式になっている。この本にはないけれど、「犬神博士」とか猟奇的な味わいは、江戸川乱歩をずっと濃くしたようなものがある。モットモ、乱歩の方は<ジュナイブル>としての先陣を走り(そのために代作を立てたという説もある。)、久作の方は・・・なんだろ、暗いジメジメした部分をそのまま書いているから、その毒性は深く鋭い。(いまひとつ、思い付かなかったので、慣用句ですましてしまった私、ごめん。)
 あと、夢野久作の文体として、いやにバカ丁寧な言葉を使う小説もある。「・・・でございます。」、「・・・でござりましょう。」に代表される架空のもやもやとした背景の中に見える、ちょっとだけハッキリしている出来事、のような感じ。「押絵の奇跡」なんてのはそうである。ちょっと白痴っぽい美しい女性(女性は、知的であっても美くしくなる。かつ、白痴であっても美しくなる。)のほそぼそとした告白風の雰囲気がそこには漂う。

 ともあれ、夢野久作は大正の社会であっても社会不適合者であったと思うのは私だけではあるまい。しかして、夢野久作のような人が、これらの作品を残したことについて、そして、そんな時代があったことについて、私達は感謝しなくてはいけないと思う。

 あ、うん。夢野久作の書評はちょっと疲れた。むずかしい。ほんとうは、ドグラ・マグラの云々を書けば私としては楽なんだが(「入れ子」の話とか「脳」の話とか)そうなると久作を読んでいない人には、なんのこっちゃわかんなくなってしまうし・・・。(それとも、「書評日記」なんて地味なタイトルに引かれる方々は、夢野久作はすでに許容範囲?)だから、読者を排他するような文章を書いてしまうと、夢野久作をこの書評日記を読んだ人(これから、久作を読むかもしれない人)が排除してしまうことになりかなねないし。
 というわけで、ちょっと普通の書評っぽく書いたつもりなんだけど、はっきり言って、久作を既に読んでいる私にはおもしろくない文章に仕上がってしまった。久作ということで、期待してくださった方々ににお詫びを申しあげます。んー、といいつつ私は去る。

update: 1996/06/27
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