書評日記 第34冊
リリス G.マクドナルド
ちくま文庫

 「デーテーペーな日記」を読んで楽しんでいた時、なんかレイアウトが変わったな、と思ったら、「投票」ボタンが無くなっていた。で「とほほ日記」見て『日記リンクスの表紙が変わった。』とか書いてあったを通り過ぎ、「よろずや講談」は変化してなかったので(夕方にはまだ更新されていなかった。今午前2時には更新されている。)「喫煙日記」を見たら、『(自分のだけは見ていたかったけど)』に出会うのであった。最後に、日記リンクスのホームページを見て、『アクセスランキングはあきたのでやめました。』って書いてある。
 私もお世話になったし、無視してしまうのもなんだし、ちょっとだけ書いておこうと思う。

 ( 残念ながらお見せできない。醜いので。 )



 で、なんで今日の一冊は、ジョージ=マクドナルド著・荒俣宏訳「リリス」なのか。これは、いわゆる自分探し文学(って分野があればの話だが。)の先陣なのかもしれない本である。
 新世紀エヴァリオン(というアニメ)で地下に眠っている(刺さっている?)使徒の名前が「リリス」である、というのは衆知の事実かもしれないし、そうじゃないかもしれない。そうでない方々にちょっと説明すると、これは「碇シンジというくらーい男の子(13歳だったっけ?)が巨大ロボット(生物兵器だけど)に乗って、宇宙からやってくる使徒という侵略者だか天使だかわからん怪物相手に戦うアニメ、とおもいきや、いきない碇シンジの心理空間に飛び来んでしまって、最後の3回はしちゃかめっちゃかになって周りの人に拍手出迎えられる心理劇であったとかなんとかいうオチがついている、フロイト的に読み解けば大変おもしろい26話のTVアニメ」である。
 なんで、こんなアニメを5月の連休にぶっ続けで26話見たのか。絵的にいえばヒジョーに冴えない主人公をもつアニメ(もちろん、碇シンジという男の子がFANだった人はおるまいが・・・ん、私は、こやつが一番おもしろんだがなぁ。)がなんでかつてのアニメ世代(ガンダムを小学生または、再放送で見た世代)のこころをつかんでいるのか、知りたかったわけである。(男子大学生が「セーラームーン」を見ているよりは、セイジョーだと思う。見たけど・・・。)
 このアニメ、テーマは一貫していて(よく26話もったものだと思う。)「自分とはなんぞや」という話である。「何故、自分はここにいるのか。」、「何故、自分はここにいなければならないのか。」、「何故、自分はここにいるべきなのか。」をエンエン26話続けるのである。
 さて、このアニメ、視聴者の対象は主人公の年齢程度なのだろうから、中学生相手であるとおもうのだけど、ちょっと中学生にはわかりずらいというか思春期の思考を模写しているわりには、暴走しすぎ(現実の中学生がそこまでトコトン考えるわけがない。)、かといって、そのテーマをほんとうの意味で受け取る(自分を知るということ。)にしては、人格形成時代を過ぎてしまった大学生連中に「ウケ」ていることを考えると、なんとも(監督の?)自慰的な作品であったと思わざるを得ない。尤も、それを観て、「書評日記」を書こうなぞと(ま、それだけじゃないけど)思い立った私の存在は、幼いんだか、影響されやすいんだか、ま、そんなこんなで、1時間ほどかけてこれを書いているわけである。

 さて、そのまま〆てしまうのは、ちょっと難であるので(G=マクドナルドさんに失礼だよな。)おざなりな書評をちょこっと書いておこう。
 先にも書いた通り、『「リリス」は、ルイス=キャロルやトールキンスをはじめ、カスタネダなどにも大きな影響を与えた。』とあるけども、キャロルは知っているけど、あとの2人は知らないのでなんとも云えない。それにまだ半分しか読んでいないので、「おじさんがオウムにつれられて、本棚の奥の世界につれていかれる」ところまでしかわかっていない。だが、これだけでもミヒャエル=エンデの「モモ」や「偉大なワンドゥール最後の一匹」(この本は、題名をかろうじて思い出したものの作者は思い出せない。誰か知っていたら教えておくれ。)・「ソニアの世界」に通づるものがあることが解る。「ソニア」の方は、そろそろ古本で出てそうだから(読めなかった人が売るかもしれない。)、そちらの方でお買い求めになるとよろしいかもしれない。哲学の話が順々にわかりやすく書いているので、哲学書の類を一冊も読まれてない方にも(だからこそ)お薦めである。

 nbkzさんの日記に『嘘』って書いてる。なるほどなるほど。

update: 1996/07/01
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