書評日記 第37冊
辞書はジョイスフル 柳瀬尚紀
新潮文庫

 ジャー、ごぼごぼごぼごぼごぼ、あーすっきりすっきり。出すもの出して、心爽やか、にこにこにこにこにこ。ってのは、平田弘史の「お父さん物語」の一場面。平田さん(「さん」付けでは、ちょっと気が引けるのだが)は、貸本時代に武士漫画を描いていた劇画(漫画)家である。ちなみに、最新作は、Mrマガジンで連載されている「怪力の母」なので、機会があれば読むべし、読むべし。

 なんだか気分が晴れたのか、「のろい」が解けたのか、(あちこちの日記で、マシントラブルが続出していて、おもしろいぞ。わははははははは。)今日は仕事がよく進んだ。WSのみょーなログアウト事件(これは、結局再現しなかった。)、今やっているプログラムのみょーな動作(コメントアウトしていたのがまずかった)、みょーな(でもないか)テスト仕様書の直し(黙々とやって、はかどった)、なんかみーんな片付いてしまったようだ。よかった、よかった、よかった。・・・なぞと書いても面白くないな、やっぱ。少なくとも俺が俺の文章を見せられたところで面白くないぞ。
 ちなみに、松永さんの「I think that...」を見てた。そうだな、最近のものを読んでも(俺も含めて)みな一緒だから、ちょっと前のも読もう、ってんで6月の始めのころのを読んでいた。ま、人のは結構おもしろい。それは人のだから、確実に他人だし、確実に無責任でいられる。6月の最初の週をぼちぼち読み飛ばしていたのだが、あたふたしていて、おもしろい。早回しビデオを見ている感覚だ。
 さてと、そんなことで悦に入っても仕方がないので、シリコンカフェの森川さん(どうやら、「森山」さんのところを「森川」さんとなったのは、この辺が潜在的な原因だったらしい。ま、根本的な原因は、俺の「迂闊」なところだけど。)の日記が気になったので(このテのぐちゃまらな問題に一番影響を受けてはいけない人のような気がするので。なんてこと言うのは年上の人に失礼なのだけれど。)、読んでみる。産経新聞に載ったそうだ。うらやましいけど、素直に喜ぶ。そうそう、「日記リンクス」のことも書いてあった。書いちゃいけないのに(と勝手に私が思っているわけなのだが)書いてあった、ちょっとザンネン。『日記を書く人から100円』云々の部分、俺は大賛成だ(ま、ホントにやれば、ぶーたれるかもしれんけど。)金をとれば、きちんとやらなくちゃいけいない契約になるし、金をとったならば、それだけ規制とかモラルとかをきちんと管理してくれるかもしれない。それが資本主義だろ、なあ、うんうん、と肯いてしまう。ま、俺は、アナーキストになっちまったわけなんだが、しゃーないな、いちから出直し。「権利を主張するなら、金をとって、キチンとサポートするべきだ。じゃなかったら、フリーにするべきだ。」云々の激励のメールを1週間前だかの土曜日に彼に出した。次の月曜日に返事が返ってきた。律義な方だ。ああいう人が社会では成功するのだと思うんだけど、違うかなあ、じゃなければ社会の方が間違っていると思う。それとも社会の方が常に「正しい」のか、「正しい」のが社会か。

 なんだ、このままじゃ、そこんじょそこらの日記とたいしてかわんねーぞ、と思った諸氏諸嬢。ご安心あれ。今日もきちんと掲げております一冊は、柳瀬尚紀著「辞書はジョイスフル」。先週の半ば、と思ったけど、今週(?)の日曜日だ。どうりで、この1週間は長かったはずだ、なぞと感慨にふけっているバヤイではない。そう、ディックの回にずらずら並べて悦に入っていた中にある一冊。読み終わりましたってんで、ここにご紹介致します。

 『川走、イブとアダム礼盃亭を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、今も度失せぬ巡り路を媚行し、巡り戻るは英地四囲委蛇たるホウス城とその周円』(ルビが打てないので、もう一度、今度は読みを書く。)『せんそう、イブとアダムれいはいていをすぎ、くねるきしべからわんきょくするわんへ、こんもたびうせぬめぐりみちをびこうし、めぐりもどるえいちしいいいたるホウスじょうとそのしゅうえん。』
 これは、ジョイス著、柳瀬訳の「フィネガンズ・ウェイク」の冒頭の一文なのだが、いま、ひらがなで打ってみて改めてその「すごさ」に驚いた。音読ができて、流れる流れる流れる、きちんと日本語訳されているではないか。ぼーっと、一部をみていてはいけないのであーるよ、うん。
 ちょっと、改めて吃驚してしまったので、1行休憩。

 ほんとうは、「日本語云々なんていうのは、単語とかその語彙そのものの意味や定義を見て云々するわけじゃない。日本語の「てにをは」やその文意、流れを尊重し、その上であれこれ言えるんじゃないか。」とかなんとか演説打とうと思っていたのだが、しなくてよかったなあ、おい。俺如きが、「日本語」云々なんかできる立場も能力も(意欲はあるけど)ないというか、なんというか、ま、「資格は無い」ことに気づいてしまった。
 で、このまま、「おしまい」にしてしまっては、なんだかよくわからないので、ばらばらになった勇気をかき集めてお話しよう、そうしよう。

 この本「辞書は」は、『平成6年TBSブリタニカより刊行された。』ってあるけど、いったいどのような形式でだされたのかは、よくわからない。ただ、どうやら横書きらしいことは、盛んに『この上の』という文句が出てくるところからわかる。あとは、ひたすら、辞書辞書辞書、読め読め読め、の連続連続連続なんだが、それほど退屈しない。
 辞書とか百科事典とかは、世の中の関連ある事実を無造作にばらばらにして、ある一定の順序(普通は、アルファベットとかあいうえお順)に並べたものである。だから、トンでもないものが、トンでもないところにある。ってのが、この本の主な内容。ちなみに、今、俺も(思わず『私』と書こうとした俺。甘いな、まだまだだだだ。)新明解国語辞書第3版(三省堂)を開いてみた。「団地」「暖地」「段ち」って続く。(「段ち」って段違いの略ってことで辞書に載ってるのな。)ってことで、段ちな暖地の団地はだんち?、ってなくだらないシャレがひとつ出来上がる。(あまりにくだらないんんで(苦笑)とかも入れらんない。鼻で笑っておくれ。)

 さてと、自分のくだらないシャレに情けなくなってしまった俺は、再び飛び散った前頭葉・側頭葉・視床下部・海馬・小脳をかき集めて、お話しよう、そう枝葉。
 と、ここまで書いて、ちょっと待て。ネットスケープで確認をせねばなるまい。いままでも、一応は、読み返してから誤字・脱字、あと、係りの変な部分を直している。ちなみに、昨日の日記も一通りの推敲はしてある、つもり。ま、文章は青いけどそれなりに誤解のない文脈をつくっているつもりだ。もちろん、「プロ」の方は、それ以上のなにかが必要なのであるが。

 今読み直した。これだけかかって書いても(1時間ちょっとか)、5分ぐらいで読み終わってしまうのな。でも待てよ。5分かかったとしても、12人の人が読めば(正確には、俺も読んだのであと11人)これで時間計算はトントンだ。
 これ以上書くと、日記なんだが、日記が主体の日々なんだかわけがわかんなくなっちまうからやめておくけど(でも書きたい、書きたい、書き足りない)、多分この調子でつづけると思うんで、以後よろしゅう。(今、見直したら、ここ3日間、日付がない。これじゃあ、日記なんだが、単なる書評なんだがわかんないじゃないか。ってなわけで、日付をつけておきました。)

 船井からメールが来たけど、確かに俺も『私』もそれほど変わっているように見えないな。うん、でも、まあいいか、俺は俺だし。
 あ、そこな咥え煙草の大学生、騒がないように、騒がないように、夜ももう遅いのだから、近所迷惑、金魚め曰く、「おやすみなさい、また明日」。

update: 1996/07/04
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