書評日記 第46冊
播磨灘物語 司馬遼太郎
講談社文庫

 書評日記をばらばらにして、1日1ページに切り直す。別に手作業でやってもいいのだが、なんか、40冊以上に分解する作業をちまちまやってるのもなんなので、perlスクリプトを書いてみた。(ま、こんな感じです。)他の方はどうなのかわからないが(でも、ソースを見ると、いかにもソフトウェアの出力っぽいものが多い。ま、いつもいつも見ているわけではないのだが。なかなか興味深い。)、俺の場合はごく普通のエディタ(WZというMSWin用のエディタ)でべた打ちをしている。HTML用のタグとかも、手作業で打つ。もっとも、前のを切り貼りして使うので、毎日の作業といえばここの本文の部分と、前の日のリンクの部分だろうか。
 パソコンを使っていて便利と思うのは(同時に、プログラム言語を知っていて便利と思うのは)「同じことをくり返さなくていい」というところであろうか。だから、ちょっとした単純作業を見つけると細めにプログラム(今回の場合は、perlスクリプト)を書く。
 最近は、ソース付きのソフトが少なくなってるので(ニフティでも少ない、雑誌についているコードのみが実用的な参照コードであろうか。)、コードがからそのテクニックを「盗む」ことができなくなっている。ある意味で、プログラミングみたいなものは、腕力で習得すべきところが多い。どこかで聞いた話、どこかで見たコードを参考にして自分のプログラミングテクニックを磨いていく。俺も含めて、今のプログラマはみなそうして育ってきたわけだし、これからの新人のプログラマもそうして育つのだと予想がつく。だけども、俺達の世代(たぶん、俺が一番最下層だと思う。)とこれからの世代と決定的に違うのは、「フリーの『盗』んで良いコード」が少ないことにある。
 その昔、C言語が華やかなりし頃、パソコンを使う人は、だいたい、コマンドラインで作業ができた。ちょっとした、バッチファイルを書くことができた。今のプログラマは、いや、これからプログラマになるであろう人は、どうなのだろうか?

 あー、久しぶりに自分のためにコードを書いたので(会社では、ごりごりにC言語やってますけど。)ちょっと疲れた。多分、ちまちまやっても1時間かかったろうし、perlスクリプトを書いても1時間かかった。ま、俺としては趣味でプログラムやってるからいいけど、「プロ」の人はたいへんだなあ。(おいおい。)

 さてと、今日の一冊は司馬遼太郎の「播磨灘物語」。モーニングで連載されている「ああ、播磨灘」とはぜんぜん関係ない。と書くのも「関係があるのかな?」と期待してしまった、俺があほでした。「キリスト教に影響を受けた黒田官兵衛が(ど田舎、播洲に在住)織田信長につきまとう話」であります。
 官兵衛さん(なんか、疲れているのでもう「さん」呼ばわり)、田舎の老中なんですが、このちまちました空間が嫌いで嫌いでしかたがない。なんとかして戦国の世の中に参入したい、ちょっとでいいから歴史の中央にかかわってみたい、とかなんとか思っていて、織田信長につきまといます。でも、父親やお殿様が許してくれるはずがありません。なんだかんだ云って、京都に上り、上ったら上ったで、あらぬもないキリスト教に影響を受けてしまう。受けてしまったはいいのだが、そのままのんのんとしているのもなんなので、再び、織田信長のところへ。なんとかかんとかして、羽柴秀吉にお付きになってしまうのでありますが・・・。
 ま、全4巻で、2巻の半ばまでしか読んでいないので、これからどうなるのか、というか、ほんとにこんな解釈でいいのか(かなり、誇張しているし、ちょっとあやしい。)よくわかんないけど、ま、こんなもんでしょう。

 そういえば、司馬遼太郎も死人になってしまったのであった。しかし、なんだな。どんどん、好きな作家が死人になってしまうというのも(単に、じじいな作家が好きなのかもしれないが。)なんか妙な話。

 あー、なんか疲れてるわ。(JAZZ聞きすぎたかもしれん。)よーわからんけど、ま、また明日。

update: 1996/07/14
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