書評日記 第52冊
海軍めしたき物語 高橋孟
新潮社

 赤瀬川原平の「外骨というひとがいた」(ちくま文庫)を読了。勢いにまかせて、宮武外骨の「滑稽漫画館」(河出文庫)を購入し、ついでに高見澤順子著「のらくろひとりぼっち」(光人社NF文庫)を一気に読了。無粋ではあるが、解説しておくと高見澤順子は田川水泡の奥さん。小林秀雄の妹。田川水泡は、のらくろの著者。長谷川町子や滝田ゆうの師匠にあたる。ちなみに俺は年少の頃、「のらくろ」の白黒アニメを見たことがある。貴重な体験だ。 本日の購入書籍は、篠田節子「贋作師」(講談社文庫)、槇村さとる「イマジン」3巻(集英社)、諸星大二郎「海神記」潮出版社。「イマジン」の方は、だんだん良くなってきた。最初のコリというかオリというか、そういう諸々の部分が削れてきた。この3巻めは非常にいい話なんで余計なお節介だがに送ろう。そうそう、神塚ときお「風駆少女組」(講談社)もふぬけていて面白い。

 本をネタにして日記を毎日書いている人っていないのかなあ、と思ってちょっと書評日記風に書いてみました。(俺だって、俺。)

 さて、昨日の日記はちょっと漢字が多く読みにくかったかもしれない。パソコンで文章を書くとき困るのは、漢字変換がほとんど無意識に行われてしまうことで、知らない漢字であってもスラスラと書けてしまうので、ちょっと困りものである。 あと、俺にとって困るのは、「ルビ」が打てないことなのだ。ホントウは、当て字を使って遊びたいのだけれど、(例えば、本を「読む」ことを「読書む」、映画を観ることを「映画る」、TVをみることを「TVる」。これにそれぞれルビを振りたい。俺のペーパーベースの日記は、あちこちにルビが振ってある。)「ルビタグ」みたいのはないし、括弧で記述(か)いてもいいのだが、独白(自己つっこみ)の多い俺の文章では、どっちがどっちだか(つまり、こういう文章のことだ。)理解(わか)らなくなってしまうので。この辺で、やめておく。
 まあ、あとは、「見える」(「まみえる」と読む)のような、単純&美しい日本語が使えなくって困る、ぐらいかな。
 この辺は、まあ日本語ブラウザみたいのが出ればいいんだろうけど、日本語専用というのもおかしな話であるので、とりあえず俺は現状に、ゆるゆる流されておこうかなぁ、とかなんとか思うわけだ。しかし、なんだな。ふだんの俺の文章は、ひらがなが多いよな、うん。

 閑話休題(それはさておき)、上の話、高橋孟の「海軍めしたき物語」(新潮社)とは全然関係ない(ま、いつも関係ないんだが)。その、俺がこういう本をニコニコしながら読んでいると、船井が嫌な顔をする。ま、俺としては、船井がどう思おうと知ったことではないし、また、人の嫌がることが好きなので、なおニコニコして読むわけなのだが・・・。
 おざなりにでも、内容の説明をしておこう。(この文句もマンネリ化してるな。)これは、題名のとおり、昔なつかし戦争時代の海軍のおはなしである。戦争中のことを「昔なつかし」と云うのは何事かと怒れる諸君諸嬢もおられようが、著者である高橋孟によれば、最前線でどっかんどっかんやっている人に比べ、主計科(めしたき班の正式名称)で戦艦のしたでえっちらおっちら飯たきをしていた者にとっては、それほど戦争というものを実感しなかったそうである。南京大虐殺、広島&長崎原爆、トラック島など、いろいろあるけれど、実際体験した人にとっては(それが、戦場から離れていればいるほど)こういう感じらしい。ま、全体主義とか同期の桜とか、先輩後輩云々が嫌いな方には向かないのだけれど、うーん、無責任にたのしんでしまう俺は一体なんなんだろうか。

 まあ、なんというか、こういう(他人の)汗と涙と体臭のおはなしは、なんとなく好き。実際、自分でやってみると嫌で嫌でたまらないし、なんでこんなことをやらなくちゃいけないのか(なーんて事はやっている当時&当人は思っちゃあいない。)そんな事はさておき、あとから考えれば、みななつかし。うーむ、あぶない思想だよな、ホントのところは。

 なんか、よくわからん書評日記になったけど、いつものことです。
 〆の言葉はどうしようか、ああ、大学生ってもう夏休みなのかしらん。

update: 1996/07/20
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