書評日記 第64冊
第三次世界大戦秘史 J.G.バラード
福武文庫

 ランナーズ・ハイ競技スタートしました。折り返し地点まで、40数人の大集団。皆さん仲良く走っております。雑談している選手もおります。気持ち良さそうです。いつまで、ごっちゃりやってるんだか・・・。誰も先頭に出たがらないってのは、記録も出ないってことです。まるでやる気なし。選手には失礼だけど、どこかの集団を見ているようです。

 今日の一冊はJ=G=バラードの「第三次世界大戦秘史」(福武文庫)です。本日記初のご機嫌伺いネタです。(・・・ってのは嘘、捧げる本ってのは何回かやってます。)バラードって3回出てきたから書かねばなるまい。(今は、ブラッド・ミュージックになってるけど。)
 彼女に送ります。俺、このセンスが好きです。その、なんと云いますか、いちFANです。そのうちパロディしちゃうかもしれない。ってこんなパロディでは困るよな。うん。

 さて、このためというか、何というか、「第三次」を再読しました。バラードはしばらく読んでいなかったもので、どんな雰囲気か忘れてしまっていた。
 『P=K=ディックと双璧を成す』とあるので、結構古い人です。となると、「時間都市」というタイトルの本がエンデ風だったり、ブラッドベリ風の作品があったりというのもあながち的はずれな批評ではないでしょう。
 「未来派」・「濃縮小説」という評価がディックの方を読み慣れた俺にはちょっと理解しずらいのですが、「未来派」という言葉から想像する小説は、カール=セーガンの「コスモス」(ラストシーンが感動的なのです)、グレッグ=ベアの「久遠」(宇宙的なところが好き)、フレデリック=ポールの「ゲイトウエイ」(あの情けない男が主人公の話)、神林長平の「時間蝕」(とりあえずこれだけはお薦め)、後は「人類補完機構」の3冊でしょうか。「濃縮小説」というのは、いわゆるショート・ショートの事かな、と思うのですが「残虐行為展覧会」を読んでない俺には、よくわかりません。これは、後に持ち越し。

 さて、「バラードとは俺にとって何ぞや」という命題を考えてみたのですが、うーむ、難しい。というか思い付かない。
 思い付かないところが、これ、すなわち「バラード」であるという答えではダメでしょうか。

 この「第三次」は非常にわかりやすい短編がつまっています。そういう意味では、バラードの入門書に近いかもしれません。あと、ディックと同世代にもかかわらず(?)現在においても活躍している作家です。ここに載っているもので最新が90年ですから、その活力たるや恐るべし。アジモフもハインラインも亡き今、時代はバラードなのかも・・・っておおげさか。ちなみに、何故かクラークの本はあまり読んでないんです。なぜなんだろう。たぶん、今さら読むのは恥ずかしいからなのかもしれない。

 あまり、だらだら書いても仕方がないので今日はこれでおしまいにします。そうそう、「笑犬樓よりの展望」。彼の10年間のいきさつが読めて、非常に便利です。これで、また俺の濫読蔵書が増えそうです。
 日記を読んだのだけど、俺と同じく作家になりたい方がいるよう。筒井康隆が垂水に豪邸を持ったのは35才前後。松本清張に至っては、50才から。俺はまだまだ若いんで、もうちょっと色々やらんとね。
先は長いぜ。

update: 1996/08/04
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