書評日記 第107冊
黒ん坊 遠藤周作
新潮文庫

 昼間、煙草を喫っていると、先輩に云われた。
 「増田くんが、喫っている姿を見ると、なんか、くさを喫っているように見える。」
 「それって、麻薬ですか?、ま、ピースなんて濃い煙草は、そんなもんですよね。」
 「ははははは。」
 なんか、壊れていく自分が心地好い。以前は、ひとの顔色を伺いながら、言葉を選んでいた。だから、寄り添うような言葉しか選べず、ちょっとでも反論されれば萎縮した。
 いくら壊れたところで、やっぱり、俺は俺だから。大丈夫。どす黒い血が、頭にのぼったって、ぐっと堪えることができれば、大丈夫。不思議だな。ちょっと前までは、そう、2か月前までは、こんな風になるとは思わなかった。だから、人生はおもしろい。

 遠藤周作の死を知ったのは、今朝のNHKニュースだ。ふと、●●●日記で扱うんだろうな、思った。どういう扱いを受けるのだろうか、最新作である「深い河」でも書評してみるのだろうか。ベストセラーになったわけだし、それぐらいは知っているのかもしれない。TVでも扱っているぐらいだから、それを見てればネタに出来るのかもしれない。
 久しぶりに見てみた。●●●日記は見ると辛いので見ないことに決めたが、●●●日記は大丈夫だ。「今日はネタが4つ」と冒頭に書いてある。はあ、ネタなわけね。ひとが死んでいるのに。しかも、4つの内のひとつってことか。本の題名すら出てこないな。しかも、全然関係ないところに飛んでいる。夏の話なんて関係ないし、しかも、「平凡な夏」だったと書いてある。はあ、あれでも、「平凡な夏」なわけね。そんな、おざなりに「合掌」されても迷惑だよ。やめろよ。
 いや、ひとのHPだし、ひとの日記だから兎や角云うのはやめよう。世の中いろんな人がいるわけだし、「自由」なんだろうな。それも「自由」、うん。俺のやって来たことも「自由」なのか。でも、ところどころ罪悪感はぬぐえない。やってしまったことは、取り返しがつかない。だから、一生懸命修復しようとする。修復できなくたって、「昇華」しようとする。新たな「糧」なんだけどな。そうやって、ひとは成長していくものだと思うんだけど・・・。
 ●●●日記の方、一年間、待ってくれ。一年経てば、なんとかなるだろう。だって、今までは、半年間音信不通だったりするわけだからさ、中が1回抜けたところで、たいして変わらないよな、うん。

 いつものことながら、本日の一冊が随分押されてしまった。遠藤周作の「黒ん坊」(新潮文庫)だ。なんか、一年ごとに好きな作家が死んでいく。ま、じじいな作家が多いわけだから、仕方がないのだけれど・・・。始めっから死んでる作家、つまり古典を読めばいいのかなぁ。
 「海と毒薬」は、中学生の頃、読書感想文のために読んだような気がする。九大の医学部で起こった話を書いたものだ。「黒い雨」も読んだ・・・が、これは井伏鱒二だ。ええと、「侍」も読んだ。「沈黙」も読んだ。狐狸庵印のは読んでいない。そういうのは嫌いだったから。

 彼は、キリスト教を信仰する作家として、俺にとって重要なひとだ。俺は、聖書を読んでいるわけでもなし、まして、キリスト教に入信しているわけでもない。でも、心底の部分は、幼児期の経験も含めて、カソリックではないかと思う。キリスト教を噛み砕いて教えてくれた作家だ。

 「黒ん坊」は、奴隷として輸入された黒人を巡る話である。信長は、黒人を汚れているとして、洗った。洗っても、黒い肌はそのままだった。黒人の彼は、労働者として「奉仕」したと思う。・・・思うと書くのも、その、よく内容を覚えていないのだ。ただ、浪人時代に読んだ、つまり、10年も前だったからなのかもしれない。印象としては、彼が、非常に心身逞しかったことを覚えている。異国の地で、見知らぬ人達に囲まれつつも、労働者として「奉仕」する。村人は、黒く大きな身体をした彼を、最初は恐れつつも、少しずつ、ほんとうに、少しずつ、理解していった。片言の言葉で通じていった、そういう話だったような覚えがある。
 まあ、他の話だったのかもしれない。
 ただ、遠藤周作の本を読む時は、そのキリスト教の神髄に対峙するようで、なかなか手の出しにくい作家であったことを覚えている。それでも、俺の読んだどの作品にも「キリスト教」というキーワードが、溢れていた。いや、キリスト教じゃなくてもかまわない。真の意味で「奉仕」というものを知ったのは、彼の作品からである。

 だから、彼のためを思うならば、「合掌」ではないわけだ。
 神に召された彼の魂を救いたまえ。
 そして、彼の業績を称えたまえ。永眠する彼のために。

update: 1996/09/09
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