書評日記 第130冊
吉里吉里人 井上ひさし
新潮社

 高校3年生の後半から、浪人時代、紙ベースの日記をつけていました。そう、お分かりでしょうか。大学受験という不安定な時期に伴って日記をつけていたわけです。だから、そう、「司法受験日記」の方を同じパターンで日記と付けていたことをお伝えしておきましょう。参考になるかもしれません。
 キッカケは何であったか、よく覚えていません。ただ、受験という人生最初の難関を前にして何かを残して置きたかったのかもしれません。「論」と名付けたそれは、まさしく俺の心の葛藤でありました。当時、俺は、何になりたいとも思っていませんでいした。漠然と早く大人になりたかった。稼ぐことをしてみたかった。高校生というひ弱な自分を脱したかった。そういう気持ちでした。たまたま、数学と物理が得意であったので、理系を選びました。英語は全然できませんでした。国語の成績も最低でした。本は、「竜馬がゆく」と「戦争と平和」、そして、漫画は「ブラック・ジャック」と「サイボーグ009」と「キャプテン・ハーロック」ぐらいしか持っていなかったような気がします。
 不安な日々が続きました。学習塾に行っていたのですが、成績はおもわしくありませんでした。そう、俺は阪大に入学していますが、当時の成績は、阪大はおろか、何処の国立大も危うい成績でした。偏差値で云えば、52、3という、平均よりちょっと上という感じでした。
 そんな不安の中、「グイン・サーガ」を読み始めました。国語の成績を上げるために本を読みなさい、と云われたからです。今から考えると、何故「グイン・サーガ」なのか、よく解りません。まあ、中学生の頃、アシモフを数冊読んだので、その関係でSFなら読めそうだと思ったのかもしれません。そんな、単純な俺ではありましたが、「グイン/サーガ」の世界観に惹かれました。グインという英雄に惹かれました。英雄というものがかくも強く逞しく明晰なものか、と思いました。御存じ、「グイン・サーガ」はある意味で、グインという英雄の自分探しのファンタジーです。俺も同様に自分を探し、そして彼の行動に共感を覚えたのかもしれません。俺は、グインのように世界の中心にいたいと思いました。自分を中心とする世界を構築したいと思いました。そういう事が「論」に書かれています。
 3月末、とある大学に受かりましたが、やめました。受かる以前に母親に言いました。「浪人させて下さい」と。もう1年間、自分を伸ばしてみたかったのです。高校3年生の時期は、ほとんど勉強しなかった。英語もしなかったし、国語もしなかった。好きな数学と物理だけをやりました。天と地程にも、理系科目と文系科目の偏差値は違いました。理系科目はね、70近かったわけです。文系科目は、40ぎりぎりでした。

 浪人時代というものは辛い日々でした。高校卒業と同時に親の都合で福岡に引っ越しました。高校時分より、友達は少ない方でしたが、そう、福岡では皆無でした。予備校と家を往復するだけの日々、そして、昼ご飯はひとりぼっちでした。友達作りが下手だったのです。まあ、別段寂しくはありませんでした。本がありましたから。
 そう、予備校と家との間に本屋がありました。予備校が午後6時半あたりに終わると、本屋に直行しました。午後8時のあたりまで、毎日立ち読みをしました。お小遣いは、まあ、僅かでしたし、そう毎日毎日読めるほど買えるわけがありません。最初に読んだのは、2階のサラリーマン用のコーナーにあった「ビッグ・ブルー」というIBMの本だったと思います。当時の俺は、何を読めばいいのか解りませんでした。ただ、早く大人になりたかったので、サラリーマンが読むような本を読めばいいのかと思ったのかもしれません。その後は、もう、濫読状態です。2階のサラリーマン用の本に飽きると、1階の文庫コーナーに移りました。ただ、レジの前で立ち読みを続ける勇気は無かったので、レジから遠い隅の方で立ち読みをしていました。「変体少女文字研究」とか、妙な本を読んでいました。
 ある時、ニーチェの解説書に出会いました。その中で、「超人」という概念を知り、「蝿」という言葉を知りました。「永劫回帰」を知りました。そう、ここで、俺の「論」は更なる飛躍を求められました。俺は、「超人」になれるのだろうか。「英雄」になれるのだろうか。世界は俺に味方してくれるのだろうか。そういう事ばかり書いていました。ただ、根本的に「カソリック」な俺であり、「博愛主義」な俺は、他人を「蝿」と云うことは出来ませんでした。この辺は、幾日も葛藤が続いています。自分は「英雄」になりたい。「超人」になりたい。しかし、己が「超人」ということは、周りの人々は何者なのだろうか?、平穏に暮らしている人々は、俺のように強い希望をもっているのだろうか。もっているかもしれない。しかし、何で活動を起さないのだろうか。何でなにもしようとしないのだろうか。何故なんだろうか。・・・そういうことが書き連ねてあり、他人を「蝿」とすることを避けて来ました。時々、鬱憤晴らしに、「蝿」として叩きのめそうとした様子もあります。また、自分の能力の無さに不甲斐なさを感じ、自らが「蝿」ではないか、と不安な日々を過したりしました。
 その間も本はやたらに読みました。図書館にも行くようになりました。分厚い本を好んで挑戦しました。文庫本は、本屋で立ち読みすれば良かったので。「吉里吉里人」が最初だったと思います。

 これによって、自然と国語の成績が良くなりました。尤も、小説ばかり読んでいるので、抜群にという具合にはいきませんでした。でも、阪大の原子力学科に入れる程度の学力はついていました。何故、原子力学科なのか、実は、前年に「チェルノブイリ原発」が爆発しています。これに関しては、また別の機会にしましょう。
 晴れて、俺は阪大の原子力学科に合格しました。まあね、入ってからは、ま、ぼろぼろなんですけどもね。俺の浪人時代というものは、本当に良く勉強をしたし、本当に良く本を読みました。よくやってくれたと思います。当時の自分に感謝します。

 「論」はその受験という暗黒時代を記録した日記です。そう、その日のことは一切書いてありません。苦悩した日々、英雄になりたかった日々、そういうものが書き連ねてあります。量は、最初は大学ノート1ページ弱でありました。それが段々増えてきて、2ページにびっしり書いてあります。時々4ページに渡ることもあります。考えている時というものを、言葉を尽すものです。本当に沢山の言葉が出てきます。この書評日記も最初に比べたら、とんでもないぐらいの量になりつつあります。「司法受験日記」の方、あなたの最初の日記は量が多かった。確かに、詩的な表現をするのは楽しいかもしれない。自分の希望を叶えたいのならば、もっと言葉を尽す方法をとられたらいかがでしょうか?、俺は今年で28歳です。それでも、なおかつ、やりたい事があります。あなたは諦めてしまっていいのですか?、本当に後悔しませんか?、俺は、大学を7年間行きました。留年しつづけました。浪人もしたから、随分、人より遅れています。遅れてしまうことに脅えないで下さい。やりたい事があったならば、とことん、やることが必要ではないでしょうか?、俺はそう思います。

 本日の一冊は、まあ、どれでもいいのですが、井上ひさし「吉里吉里人」(新潮社)を紹介しましょう。非常に厚い本です。834頁あります。中身は、そう、「独立国」を題材にしたものです。とある村が独立して、潰れるまでの話。確か、1週間の間の話を延々書いたものだったと思います。抜群な言葉遊びと会話のスピード感が、読む者を飽きさせません。流れるように読めるので、そんなに読了までの時間はかからなかったと思います。
 そう、井上ひさしも勉強しなくちゃね。放送作家出身だし、劇作家でもあるから、まあ、参考になるでしょう?、一応だけど、劇作の方も押さえてあるわけです。だから、戯曲も書けるかもしれない。

update: 1996/09/09
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