書評日記 第147冊
失楽園2 エヴァ同人誌

 いきなしだが、「ぷれつま日記」おもしろいぞ。笑った笑った大笑い致しました。別にいい気味とかなんとか思っている壊れた童貞男性が僻んでいるわけじゃないよ。ただ、そう、「セックス」に関していろいろ期待なさる方の意見として正しく拝聴致しましたというところだろうか。
 今の俺は以前も云ったけれども「セックス」自体に関して何の期待も抱かなくなってしまった。そういわゆる「至る」という行為に対して俺はどうでもよくなってしまった。確かに肉体的には28歳という若さ(?)を持て余しているところもあるし、最近のオナニーの回数は中高校生時代のペースに戻っていると言っても過言ではない。男性諸君ならば解ると思う。あのころは頭の中が「それ」ばっかりであったこと。いわゆる思春期から青春期にかけての精神的に不安定な時期かつ異性というものを意識しはじめた時期は、異性に対して探求心が旺盛になって、やたらに気になったりするものだ・・・と「本」には書いてあるし友人からは聞くのだが、俺はといえば、はあ、そうは思わなかったわけで、うーむ、まさしく俺の青春時代というものは、今らしい。なさけないというか、なんというか。ま、こんなもんだ。
 さて、「ぷれつま日記」の面白さだけど、これ以上何か展開があるんだろうか。性技69手尽くしたところでものの2ヶ月半ぐらいしかもたないが、どうしたものだろうか・・・って、ああ、昨日の日記には交接がなかったから詰まらない?いや、昨日の日記こそ本質を突いているのじゃないだろうか。そう思ってこれを書いている次第。

 ユング派を自認し、ユングと同じ感情と経験をしているのではないかと思える俺にとって、ユングが結婚していたことと、彼の周りには様々な女性がいたことに対して安心をしてしまうのは、ちょっと浅はかであろうか。端的に言ってしまえば、「セックス」自体が楽しいと思えるのは40歳ぐらいまでじゃないの?その後は性技なりなんなりを工夫しない限り「セックス」自体で悦びを味わうことができないと思うけど、いかがなものだろうか。
 残念ながら、この日記界、独身の方が多すぎるし、結婚なさっているとしてもまだ40歳には達していないわけで、まだまだそういう肉体的なお遊びの方が面白い年頃といえるのではないだろうか。そう別に「セックス」に限らず、夜遊びとか酒とか単なるはしゃぎ合いとか、そういう瞬間的なもの刹那的なものに快楽なり悦びを求めるぐらいしか思い付かないし、まして、そういう快楽が無くなった時のこと、つまり、自分が60歳になって社会的地位を退き自らの過去を振り返りそして余生を送ろうとした時、今度は何を快楽として、何を自らの楽しみとしようと考えたことがおありだろうか。
 すなわち、うちの両親がそういう歳なのである。母親の方は既に「あがって」いるし。父親の方は、「でる」かどうかは解らない。しかし、ここ数年、仲良く旅行に出てビデオを撮ってきて二人で夜中にそれを見ている姿を見ると、札幌に退いても大丈夫という感じがするし、あと、10年以上ほっておいても惚けはしないだろうという安心感がある。

 そう、思い出すのは、母親の更年期の時である。いわゆる女性が「女」としての仕事、つまり生理&妊娠という作業ができなくなるとき、彼女達はひどく不安になる。それを「更年期障害」と呼ぶ。まあ、知っておいて損はないと思うので話しておくが、うちの母親はあけっぴろげなので、自分の生理が無くなったこと、不安であうこと、更年期障害といわれる症状を起こすこと、などなどを俺に告白した。確か俺が高校3年の頃ではなかっただろうか。そう、やたらに日曜日に母親と出歩いたことを覚えている。デパートに行く。そして歩くと、彼女は俺の腕を組むわけだ。これは、息子が男として成長した時に、母親がとる代償行為でもあり、更年期の不安な時期を早く通り過ぎるため、つまり生理というものが無くても、セックスというものが無くても、「悦び」を得られるという確認の行為なのである。はあ、その時、俺はそういう心理現象は知らなかったが(フロイトもユングも知らなかった。そもそも、「本」を読んでいなかった。)、直感的に母親の「女」としての寂しさを感じて、それを埋め合わせるようにした。つまり、腕を組まれても嫌がらなかった。
 まあ、多少、マザーコンプレックスのケもあったし、その頃から少女趣味(?)の部分もあったので、そういう感情を直感的に理解できたのかもしれない。

 解るだろうか。確かに「セックス」は楽しい行為でありましょう。でもね、それは「若い」からこそ楽しいのであって、それが楽しいと思えなくなったとき、そういう刹那的な快楽に対して空しさを感じてしまった時、あなたはどうするのでしょうか。その辺がちょっと心配です。・・・って人の事はどうでもいいんじゃなかったのか?うーむ、結局、お節介が好きなだけかもしれん。

 なんつーか、今、俺が一番楽しいのは、会話している時と、メールを書いている時と、いい文章に出会った時と、誰かと出歩いている時です。
 まあ、なんというか、電車の中で隣の女性のちょっとした接触に興奮しているのは、まあ、若いわけだし代償行為なわけですよ。ははははは。

 う、本日の一冊を忘れるところであった。いや、何、紹介しようという本は決まっているのだ。
 「ちょっとHなエヴァンゲリオンアンソロジー」というサブタイトルがついている「失楽園2」を紹介しよう。いわゆるアニパロ同人誌&R指定ものである。
 うーむ、エヴァンゲリオンは面白いと思うのだが、こういう読み方というか、同人誌にして面白いかどうかは別として・・・弟が熱烈なファンなものだからエヴァ関係がころごろしています。まあ、俺も覗いてみるのだが、うーむ、そこかしこに勘違いしている人もいるけどね。まあ、人それぞれ、いろいろ趣味がありますから。
 んで、このテのHものは、まあ、キャラクタをまぐあわせて色々な組み合わせを楽しむわけなのだが、時々、そう本当に時々であるが、妙に「わかっている」人がいるので面白い。
 この中でにたちゃーという人が描いている「ME-ISM」という作品なのだが、まあ、説明しても分かり難いだろうが、一応説明すると、本当に気の弱い碇シンジという少年と負けず嫌いのアスカという少女が、まさしく「至る」ことになったら、どういう風に「至る」のか、がそのキャラクターの性格に沿って非常に巧く描かれている。・・・ってさあ、好評しても仕方が無いのだが・・・。
 エヴァンゲリオンというアニメを見た人は解ると思うが、碇シンジは相当屈折している。認められる愛されるそういう価値基準を棄てられた父親にしか置いていない。また、他人に対して強くでることは決してない。第一に従うことで難を逃れる。敵を作らない代わりに味方も作らない。そういう孤独が嫌なはずなのに、きっかけがつかめない。己を好む人にさえ心を開かない。そういう少年だ。・・・って、うーむ、かつての俺のような気がして嫌なんだが。まあ、そういう少年が気の強いアスカを犯すとすれば、また、自分こそがトップと思っているアスカが犯されるとすれば・・・という部分が非常にリアルで面白かった。恐い目をしてただ行為に走る少年と、その行為を冷ややかに見つめる少女。出しおわり行為を終えて背を向ける二人は再び反目し合う。うーむ。正しいというかなんというか。キャラクターの心理をよく捉えているというか。感心してしまった。

 いや、何、これを読んでさ、どう思うか知らないけれど、まあ、それぞれ、いろいろ悩んでください。それこそが俺の望みでありますから。

update: 1996/09/09
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