書評日記 第174冊
利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス
紀伊国屋書店

 別に今の状況を自己弁護するためにこの本を買ったのではない。
 でも本の通りになりつつあるのは何故だろうか。

 人は何らかの意思決定をする。その場その場である選択をするし、長い人生の中で重要な意思決定を行うことが多い。あとで後悔しないために、その時にうんと考えることが必要であるし、あとの人生を有利に過ごすために自分を一番に考えた決定を行うことが必要である。

 ああ、そう。俺は保身のためにと或る決定を行った。俺の精神状態を保持するためでもあり、俺の将来のプラスを考えてと或る意思決定を行った。
 その時、頭の中ではものすごい勢いでシュミレーションを行っていることを忘れてはならない。いろいろなパターンを分析して、一番自分に都合の良い結果を引き出す。決めてしまえば、あとは後悔なぞはしない。くよくよ悩んだところで、自分の決心は揺るがないし、多少苦しくたって、それが一番いい方法だと思ったならば、それを貫くべきだと思う。

 タイトルだけを見れば、「利己的」という言葉から嫌な印象を受ける人は多いと思う。俺も人生は「利他的」であるべきだと思うし、それぞれが助け合って生きていく人生が理想だと思う。
 でも、何故か俺は集団が嫌になる。なぜだろうか。俺こそが利他的に行動しているはずなのに、集団を蹴飛ばし、集団から爪弾きにされてしまうのはなぜだろうか。

 ひょっとすると、俺は非常に内部的に素直に生きているからなのかもしれない。俺自身にややこしいところは無い。非常にシンプルだ。そのあまりにもシンプルが故に、俺は利己的遺伝子と同一な状態で生きているのではないだろうか。

 そう思った時、俺は俺自身の意志を失ってしまうのではないか、という恐怖に襲われる。果たして、俺は一体意思決定をしているのだろうか。シンプルに流れに身を任せて最善手を模索し、其れを指す。ゲームの最終地点に向かって最短距離を進もうとするのは、一体どういうことなのだろうか。

 ただ云えるのは、この立ち直りの早い自分と環境が恐ろしい。
 あなたが居るだけで、こんなに立ち直れるは何故だろうか。俺はこんなに身勝手な人間だったろうか。非常に不思議なのだけど、俺は流れに身を任せることにします。
 或る意味では、恐怖なんだよ。この俺にとって。この訳の分からない状況が……。

 でも、まあ、いいでしょう。俺はあなたに答えることができます。それでいいのかもしれない。

update: 1996/12/25
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