書評日記 第173冊
ラブ・イズ・ザ・ベスト 佐野洋子
新潮文庫

 佐野洋子は谷川俊太郎の奥さんだ。だから、気になって読むのだが……、どうも、違った。谷川俊太郎は佐野洋子の旦那さんだ、というべきなのかもしれない
 いや、ま、どちらでもいいか。非常に希有なカップルであるには違いない。

 最近、感動すると涙が出てくる。本を読むだけで、他人の日記を読むだけで出てくる。実際に涙を流さないまでも、その直前までいく。まるで、「泣く」ことしか感情の手段がない赤ん坊のような感じだが、ひょっとすると俺の感情はそれになっているのかもしれない。
 素直に受け取れば、素直な感情が出てくる。素直に聞けば素直に納得する。別にひねくれた表現を使わなくても、素直に文章を綴っていけば、読み手には素直に伝わるはずだ。
 勿論、やさしい言葉を綴ったからといって、内容が易しいわけではない。むしろ、その言葉を発する時の感情の複雑さが、易しい言葉でしか表わせない表現方法を生み出し、それを綴らせていると思うのだが、あなたはどうだろうか。
 読み手に何かを伝えようとする時、言葉を選ぶ。一瞬、戸惑って、いろいろな言葉の海から一つの言葉を選び出す。それは、ひとそれぞれの「センス」だと思う。
 敢えて、難しい言葉や嫌らしい言葉を使う必要はないと思う。何かを語りたい時は、語るように書けばいいのではないだろうか。
 
 この本を読んで複雑だな、と思ったら正解だと思う。
 別に「正解」があるわけではないのだが、少なくとも、佐野洋子の豊かな人生が裏に隠れていることが見えてくると思う。
 だからこそ、俺は、私小説とかこのような自分の経験を語るようなエッセーは歳をとってから書くべきだと思っている。
 若年のうちは、どうしても経験が少ない。俺はたった28年しか生きていない。そのような短い経験、少ない経験の中でも色々考えてきたからこそ、こうやって日々色々なことを書けるのだけれども……。

 ああ、そう、「本」を読むこと自体も疑似経験として「経験」として蓄積されるのならば、俺の短い人生は、俺の歳よりも経験が豊富と言えるのかもしれない。
 豊かにしようと思って人生は豊かにならないことは知っている。あまり変化のない生活をしている人達もたくさんいるし、その人達はそれで満足であるに違いない。多分、そうだと思う。人は経験に耐えられないところがある。

 それでも何かを「経験」しようとする。何かを「経験」し、そこから何かを掴もうとする。好奇心が湧き出る。それは、本物の子供のように貪欲に「経験」にむしゃぶりつく。子供のように素直に物事を考えて、子供のように素直に物事に打ちひしがれる。感情があらわになる。それは、まさしく「子供」と同じではないだろうか。

 それは、ひょっとして、ピカソと同じではないだろうか?
 彼の晩年の行動を思い出す。

update: 1996/12/18
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