書評日記 第172冊
銀の匙 中勘助
岩波文庫

 日本の文学も読まなくちゃな、と思って阿佐ヶ谷の古本屋で買った薄い本、中勘助「銀の匙」を読み終える。

 前編を読み終わった感想は、「誠に美しい」の一言であった。子供の情景がありありと目に浮かぶのは、俺が子供時代をそうして過ごしてきたからなのか、それとも俺が子供だからなのか、それとも誰もが子供時代に経験する葛藤を描いたものだからなのか。確かなところはわからないが、あたかも「童謡」を聴いているような安心感と哀愁を感じるのは何故だろうか。

 解説を読むと俺の感情に裏付けを得た。夏目漱石が絶賛しているそうだ。
 夏目漱石の文章も妙な哀愁がある。童の頃の匂いが漂ってくる時がある。優しく包まれるような感じがするのは、一般的な意見かどうかわからないが、「文豪」という大層な名目を彼に与えなくとも、彼の小説の素晴らしさは伝わってくる。その彼が、絶賛するのだから、中勘助もそのようなタイプなのだろうと思う。
 
 中勘助は「詩」を目指したそうだ。散文を良しとせず、ひたすら美しい表現を求め、周りの小説を省みず、自分のスタイルを確立していった。「銀の匙」は大正2年に書かれている。夏目漱石と同時代に生きる、しかし、相互に関心が無くとも、結局のところは、彼らは同じものに惹かれたのかもしれない。そんな「美しさ」を感じる。
 中勘助は日本語の「詩」では自らの想いを託すことが出来ず(それは「日本語は長詩が書けない」という溜息で察せられる)、散文へと転向する。その結果が「銀の匙」であったらしい。

 必然なる偶然か、読売新聞の児童文学の紹介の欄で「銀の匙」という単語を見つけた。俺がこの本を買ったのは土曜日であって、この紹介欄を読んだのは、今日である。こういう偶然を度々経験するようになってから半年が経とうしている。いや、意識しはじめて、半年だから、以前よりあったのかもしれない。まあ、その辺は、どうでもいいことだ。
 運命に流されている時というのはこういう時なのかもしれない。逆らえない流れにただ乗っているだけのような気がする。楽なのか苦なのか解らないけれども、こう次々と起こるのはなぜだろうか。

 「銀の匙」は児童の心理を鋭く描いた小説だと云える。
 あたかも童謡のように流れる言葉の響きは、心地良い。
 そういう読了感を得た。
 それだけで、いいと俺は思う。

update: 1996/12/18
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