書評日記 第183冊
ワイルドセブン 望月三起也
徳間書店

 久しぶりに表紙の絵を変えた。年賀状代わりというか、俺の出来るプレゼントと云えばこんなもんです。
 別に高価なものではなく、何かを差し上げたいという気持ちが一番いいものを作るのかもしれない。
 こうやって、「書評日記」なぞを付けて日々更新していて何の特になるのかと思う。
 まあ、少なくとも俺の場合は本を読んだついでもあるし、こういう本があるというものを紹介したいし、便利な読書屋さんというところかもしれない。何かを知ったことを見知らぬ人に伝えたい。そういう知識の共有というか、知恵の共有、生き方の相互扶助を求めているのかもしれない。

 普通は、同僚だとか学生時代の友達だとかに求めるべきなんだろうけど……、俺も転校が多い方でした、〈足輪の貴女〉。
 幼なじみも無く、学生時代の友人もいなく、それでも学校を辞めずに、なんとか卒業をして、今の会社に勤めているのは不思議な限りです。
 はみ出し者とは云え、誰かの助けを求めているのは確かなことで、また、だからこそ人との繋がりを強烈に求めるのではないでしょうか。強い結びつきが、孤独になった寂しい自分の心を埋めるのではないか、と必死になって人を求めるのだと思います。

 そう、「愛する人を探す行為は美しいものだ。」というフレーズを貰ったことがあります。自分を理解してくれる人、自分を好んでくれる人を求める行為は、人が人に為るための重要な行為ではないでしょうか。
 だから、人を嫌いつつも、人は独りで生きていかなくてはならないと思いつつも、こうやって日記を公開したりして何らかの繋がりを持とうとするのではないでしょうか。

 まあ、確かに元旦から更新なんてしている人は、ウケ狙いか、寂しい人達なのかもしれませんが……少なくとも、心の貧しい人にならないで下さいというのが、俺の願いです。

 ホームページに関しては何をやってもいいような気がします。別に仲間内で楽しくオタクな会話を楽しんでいるのも結構な話かもしれません。
 でもね、折角の理想の場が実現できる確率の高いところでこそ、「理想」を求めなくては、一体人は何処で理想を実現しようとするのでしょうか。理想郷を潰しているのは、理想を望まない、理想を諦めてしまった人達なのですよ。結局なにもできないんだという人達に俺が苛立つのは、その「やる気」の無さです。

 孤軍奮闘に見える?

 「ワイルドセブン」は俺が中学の時に、祖母の葬式の時、親戚の家で読んだ漫画です。

 警察のような官僚組織に縛られず、自由奔放に犯罪者にアタックする7人の男達の物語です。
 こういうシュチュエーションは今の漫画でも多々ありますが、きちんと暴力と殺人と正義とが描かれている漫画は、「ワイルドセブン」が一番だと思っています。

 理想なんて実現しない。本当の正義なんてない。利他主義なんて偽善だ。所詮、人は身勝手なんだ。
 そういうのは、俺は聞き飽きました。
 「だから」どうするのか、を俺は考えていきたい。

 此処で、こうやって、人との付き合いの中で。泥臭くて、身勝手な人達が多い中で、思考停止をしている人達の中で……、それでも、何かを求めている人が確実に存在する集団の中でこそ、何かが掴めると思うのですよ。

 ああ、うん。
 大江健三郎の「人生の習慣」の冒頭の部分を読んで、更なる自信を得た俺は馬鹿でしょうか。
 俺の好きな作家達に追随したいと思う。
 ただ、それだけなのでしょう。

update: 1997/01/03
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