書評日記 第185冊
こんな女じゃ勃たねえよ 内田春菊
日本之実業社

 なんで、内田春菊と山田詠美にこだわるのか自分では良くわかりません。
 ただ、新春の「徹子の部屋」を見ていて思ったのは、黒柳徹子ら年配の女性が神田うのの言葉に真剣に耳を傾ける姿が印象的でした。
 母親は「彼女は西洋で育ったから、あのようにはっきりとした意見を言える」と云っていましたが、俺にすれば、神田うのは非常に良く解かっている女性だと思います。クラシックバレーをやっていたこともそうですが、何か芯があるからこそ、彼女をしてあれだけはっきりした存在に為さしめているといったところでしょうか。
 小林昭一が、男性上位の家庭をもとにして正月の風景を語り、黒柳徹子がそれに同意するのでありますが、時代は、彼女たちが考えるよりもずっと自由になっていると思います。
 そう、その時の岡本夏木がかわいく見えたり、歌を歌っている時よりも控え室にいる安室奈美恵の方がかわいいと思ったり、やっとこさ手足の長さが整ってきた観月ありさを綺麗だと思ったり、原節子の写真集を買ってみたりと……うーむ、この辺、傾向があるのだろうか。
 それにしても、黒柳徹子は美しい、と思う俺は、外見なんて些細なことなんですよ。

 今は、複数の人を愛せますか?と聞かれれば、はっきりと愛せると云うことができます。
 俺にとって、セックスとメールを交わすことは同じ心地よさがあるといえます。
 そういう意味で、俺の感受性は抜群に高い方です。

 俺の場合、メールで会話をします。
 それは「声」を聞くのと同じ感覚で記憶に残っています。
 普通に交わされる会話は一度限りですが、手紙の場合は何度も読み返しが出来るし、何度も「声」を楽しむことができます。
 だから、メールでの言葉に対して、俺は「言った」という聴覚の動詞を使います。

 内田春菊ですが、「ファザー・ファッカー」が自叙伝だと知った今(読んだ時は知りませんでした)、更に彼女の作品を集めつつあります。
 
 遊び人の日出男が、あちこちの女の間をふらふらする話。
 眉をしかめるべきか、羨ましい思うべきか、よくわからないけど、本当の意味で翻弄されているのは彼なんでしょう。
 「娼夫」という言葉を使うべきかもしれません。
 
 そう、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」もオカダノボルが「娼夫」になります。

 こうやって書評日記を書いているとミームの撒き散らしをしているのではないか、と危惧する時があります。誰か一人だけにでは、重過ぎるミームを適当にばら撒いているような気がします。
 俺には「選ばれる」ことはできても、「選ぶ」ことはできないのではないでしょうか。男性の身ではあるけれど、この身を捧げるという感じがするのは、「娼夫」だからなのか。

 ははははは、こういう風に書かれるとメールが出し難い?
 これが、書評日記のハードルだと御理解頂きたい所存。

update: 1997/01/05
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