書評日記 第188冊
タケちゃんとパパ 江口達也

 ノートブックを取り出し、この書評日記を書き出そうとした途端、隣のカップルの会話が途切れた。
 カップルというのは妙なもので、俺のような観察者がいると興奮状態になるらしい。イタリアに行った時、わざわざ目の前に来て、ディープキスをするカップルがいた。最近は、小田急の中でもいるのだが……まあ、そんなもんです。
 で、先の理由だが、男性の自尊心が傷ついたらしい。女性の方は「どうしたの?」と怪訝な顔をしいたが、明らかに男性の方が自信を失い黙ってしまったのは確かなこと。
 うーむ、ざまあ見ろ、とは云わない。ちょっと悪いことをしたなあ、と思うだけ。

 男性の尊厳というのは、妙な部分に頼っているところがある。
 今、読んでいるのは「モラル・アニマル」なのだが……、まあ、ちょっとやばい本。別に道徳的にやばいのではなく、思想的にやばいなあ、と感じている本。社会生物学・進化心理学という単語を聞いたことのある人は、ああ、確かに、と肯かれると思う。
 「利己的な遺伝子」と同様に普通の人には納得しがたい部分もあろうかと思うが、俺は普通ではないので大丈夫。

 そういえば、味覚がいきなり戻った。
 阿佐ヶ谷のジョナサンというファミリーレストランで、水っぽいひれ肉を食べていたら、なんとなく味が違った。いや、水っぽい中にも濃い味が含まれていた、というところだろうか。
 塩を舐めると、塩辛い。当たり前のようだが、この3週間、だんだんと味が薄れて、つい昼までは全く味を感じていなかったのだから、妙なものである。
 思い当たることと云えば、味覚を失う原因の彼女にメールを送ったぐらいなものだろうか。
 どうやら、味覚障害者にはならなくて済んだらしい。

 先日の晩に、彼女と会う約束をして嬉しくなって、読んだ漫画がこれである。ああ、つまり、貴女のことね。
 寝る前に何かを読むのは、中学生の頃からの悪習慣なのだが、「私達は繁殖している」で、それは「死」への恐怖を紛らわすものだと知って、最近は安心して読んでいる。

 俺は漫画を読んで声を出して笑う方ではない。
 ただ一度、高校生の頃に新沢基栄「奇面組」を立ち読みしていて吹き出してしまった覚えがある。
 家にいれば遠慮しない。TVを観て笑うこともある。
 この漫画を読んで、夜中に笑ってた。

 この歳になると、子供の成長を見ることはない。近くに親戚もいないし、交際範囲も少ないので、皆無だ。
 それでも、子供がばたばたしているのは好きで、道を歩いているとつい見てしまう。単に面白い「もの」を見ているだけかもしれない。爺気分で眺めているのかもしれない。

 内田春菊の「私達は繁殖している」は女性の側から赤ん坊を見た話であるが、江川達也の「タケちゃんとパパ」は男性の側から赤ん坊を見たものである。
 「私達は繁殖している」の場合、妊婦&出産&新生児の頃の記憶が鮮明らしいが、男親にとっては、いかにも人間(?)らしくなった頃の時期が楽しいらしい。
 その後は……、〈偏食オヤジ〉を見る限り、PTAとかにかまけるのか。うーむ、彼は特別なのであてにはならない。

 自分の父親を思い起こせば、やたらに父親臭い接し方をして嫌だった……と云ってはいけないような気がするが、良く考えれば、うちの両親も相当妙な部類に入るので、参考にはならない。

 まあ、なんにせよ、親子のスキンシップは大切にした方がいいというのが、俺の意見でもあり、幼児教育の専門家の意見でもある。
 両親の不仲は、子供に多大な影響を与える。
 その辺、良質な子孫を残すには適さない伴侶を避ける参考になれば……と思って書くのだが、まあ、気づかない人は気づかない。

 ああ、うん。一体、何が云いたいのか。
 あんまり「本」を読み過ぎるのも困ったもので、俺のように次々と非常に適切な(?)本にぶちあたるようにはならない方が、いいのではないか、というのが結論。
 うーむ、そういう意味では、こうやって、ぼろぼろと「真実」をぶちまけてしまっていいものか、と危惧してしまう俺だが、知らぬ人生よりは知っている人生の方がいいと思っているので仕方が無い。

 「モラル・アニマル」。下巻をこれから読むことにする。
 心理学、数学、社会生物学、物理学、量子力学、遺伝科学、とどんどん繋がるのは、神の思し召しか、悪魔の誘いか。

update: 1997/01/06
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