書評日記 第262冊
すべてがFになる 森博嗣
講談社ノベルズ

 昨今のミステリーのジャンルが興隆状態なのか衰退状態なのかは俺はよく知らない。今まで読んだことのあるミステリー小説といえば、アガサ・クリスティか、エラーリー・クイーン、赤川次郎を数冊だから、単なる喰わず嫌いなのかもしれない。
 ただ、小説というものに対してジャンルを問わずに読もうという態度で臨むのならば、純文学といわれるおお健三郎の「万延元年のフットボール」と「すべてが…」を比較しても良いのではないだろうか。

 広瀬正のSF小説のように、森博嗣のミステリー小説には、理系的な知識がふんだんに詰め込まれる。これは、著者森博嗣が建築学科の教授であるところと無縁ではないだろうし、また、それゆえに、ミステリー小説に必須であるところのトリック的要素も、理系的な趣味を帯びる。
 最近の小説にコンピュータが出現するようになったのは、近未来を思わせる目新しさを追う、作者と読者の相互作用なのだろうが、頻繁に出てくるコンピュータ用語に対して、生活に密着しない単なる知識の羅列に見えるのは俺だけであろうか。

 実は、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」のチャットの場面のように、あまりにも前時代的な容貌に苦笑を禁じ得ない興冷めを感じるときがある。
 しかるべき場面で出てくる言葉や物というよりも、読者獲得のための餌とみえるのは、多少の皮肉を込めてのものいいである。別に、無くてもよい小道具を見せびらかすことで、何か新しいことをやっているのではないか、という幻想が見えてくる。
 無論、娯楽の中に、ちょっとした知識を含めて、戯れることの中から、現実世界との遊離と結合を図るならば、それで良いのかもしれない。しかし、それならば、もう少し、読後の「ヒキ」のある方を選ぶとしても、それは俺自身のジャンル(?)の選択であるから、それで良いのだろう。

 確かに、「すべてが…」は面白いし、トリックは奇抜である。会話はスムーズだし、理系的な知識欲は満たされるし、ミステリーとして読ませる部分が多い。
 ただ、それだけに耽溺するには、いまひとつと感じるために、俺は推理小説&ミステリー小説を読んでいない。

 ……単に、ひとと同じことをやっても詰まらないから、という理由でベストセラー小説を避けるのと同じ理由なのかもしれないが。

update: 1997/03/01
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