書評日記 第315冊
ベストセラー小説の書き方 クーンツ
朝日文庫

 「100万部売らなければベストセラー作家とは云えない」と豪語するクーンツ。ま、つまりは、喰える作家になりましょう、という意味なのだが……。

 ジャンル小説(ミステリー小説とSF小説)と一般大衆小説の区分けがなんとも曖昧なのだが、日本の区分けで云えば、渡辺淳一が一般大衆小説で、筒井康隆がSF小説ということなんだろうか。私にとっては、村上春樹とか村上龍は色物に見える。大江健三郎はどうなのだろう。坂口安吾とか漫画家とかは?
 作家という職業が憧れの対象になるのは、金銭的に裕福になること(資本主義社会での勝利者)とネームヴァリュー的な満足を得られること(ミームも撒き散らしの勝利者)の魅力があるように思える。識者としての相応の地位やマスメディアを使った自由な発言権を得ることは、会社の片隅でぽちぽちと仕事をしているよりも遥かに魅力的な職業であるのだろう。

 クーンツは、ベストセラー作家の収入面を強調するのだが、私にとって「金」はそれほど自らを裕福にはしてくれない。
 まあ、億単位の資産を持ったことがないから云えるのかもしれないし、さほど贅沢を主としない家庭で育ったための無欲さからかもしれない。
 渇望するのは「自分を満足させるだけの自由な自分を得ること」なのだろうか。

 クーンツの指し示す小説は、主にミステリー小説になる。パルプマガジンとしての娯楽小説。私にとっては、娯楽小説的に書かれた娯楽小説は、細部の洞察が端折っている(または、端折ってある)分だけ味気ない。あまりにも……あまりにも、その登場人物達が暢気すぎたり、馬鹿であったり、小説の世界が現実の世界にマッチしていなかったりして、興冷めする。ミステリーやスリラーものを避けてしまうのはこれが原因になっている。知的興味を刺激されない小説達。
 でも、まあ、クーンツのやり方は正しい。小説への姿勢が私自身とマッチしている。
 なぜだろうか?

 創作をすることへの欲求と姿勢。
 何よりも「個性」を重んじる姿勢。
 批評ではなくて創作という姿勢。

 自らの手から紡ぎ出すという欲求は、どこの分野でも成り立つように思える。
 プログラマという職業だって創作活動であるには違いない。無より有を作り出す作業に違いないのだが、日々の積み重ねがない分、消えてしまう自分が哀しい。そんな虚無を酒に紛らわせたくないのと思考する頭を持て余してしまう私は、真の意味での創作活動である作家という職業に憧れる。
 多分、陶芸でも絵画でもなんでも良かったのだろう。
 ただ、あたら芸術活動じみた辺境にいるよりも、どこか人間臭いところで自分を置きたい。考えることがより直結している活動に身を置きたい。そんな素朴な願望が今まで続いているに過ぎないのだと思う。

 土日でひとつの作品を仕上げること。
 怠け者は作家になれない……うっ、痛い。

update: 1997/07/07
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