書評日記 第329冊
海の向こうで戦争が始まる 村上龍
講談社文庫

 これは多分駄作なんだろうと思う。一通り読んだがさっぱりストーリーを思い出せない。ラストの部分でちょこっとだけ戦争を始める。そこに至る過程を彼はあまり重視していないのだと思う。
 処女作である「限りなく透明に近いブルー」の惰性の作品のような気がする。惰性であるから、「限りなく…」の作風に「海の向こう…」は限りになく近い。近いがゆえに、さっぱり印象に残らない文章が続く。

 ふと思えば「限りなく…」のストーリーもさっぱり思い出せない。がやがやとした騒々しさがある、という感想を書いたことを思い出してはみるのだが、本の内容は思い出せない。
 ある意味で、内容が無い、という部分を「限りなく…」は持っていると思う。「コインロッカー・ベイビーズ」ではっきりするのだが、彼は決してストーリー・テーラーではないことが解かる。一瞬の描写、印象的な場面場面を切り取って提示するのは抜群にうまいのだが、その前後関係は全く抜きに語ってしまうところがある。動画ではなく、単なる静止画の連続を見せられている感じ。
 それが、インパクトという形で一瞬脳髄を突き抜けることがある。多分、たった数頁に記されるひとつのインパクトのために、彼は数百頁を費やしているに過ぎない。それは、計算する過程を踏まえて結論があるという頂上的なものではなくて、ごそごそとひねくり回す遊びの計算の中にひときわ光るものを発見するという跳躍的な部分だろうか。微分不可能な位置、特異点、というべきかもしれない。
 逆に云えば、前後の文章がのべたんであるからこそ、ひとつのインパクトが見つかるのだろう。だが、前後関係とは別のところにしか、インパクトを見出せない彼の弱さも同時にこれを意味している。

 ただし、私にはひとつのインパクトのみを示してこの作品が傑作であるとは言えない。それは、前後関係から切り離されてしまう薬的な快楽を意味するからであろうか。ドラックを嗜んだとしても、それは他の快楽を誘発しないということだろうか。砂糖の甘さと砂糖菓子の甘さは違う。どちらが良いのではない。ただ、単に違う。だが、砂糖菓子は砂糖を含む。砂糖は砂糖菓子を含まない。

 この辺は、村上龍の提示する心地よさと、私の受領する心地よさの違いが示しているのだと思う。
 極めて個人的な見解を示せば、性急さを否めない。
 また、ひとつのインパクトに対して性急であるものの、前後がだらだらであるような気がしないでもない。

 実は、ひとつひとつのインパクトと、小説としての時間の流れとの融和は、「コインロッカー・ベイビーズ」で、修正されている。「コインロッカー…」には、時間の流れがあるのだが、蓮實重彦が言及するように、長編としての価値が「コインロッカー…」では危ぶまれている。

 リアルタイムで「海の向こう…」が時代を切り開く力があったかどうか私にはわからない。ただ、陳腐化されてしまう小説に、時代を切り開くことが出来たとしても、それは陳腐化された切り開き方だったに違いない。

update: 1997/08/01
copyleft by marenijr