書評日記 第351冊
父の詫び状 向田邦子
文春文庫

 向田邦子という名を見る度に思うのは昭和56年の逆噴射事件・事故である。だから、私はTVドラマ作家としての向田邦子を知らない。その事故を思い出すと向田邦子が既に故人であることを思い知らされる。「死」というものが突然にやって来ることをそれとなく教えられているような気がする。三島由紀夫や森鴎外などの乾いた死ではなくて、最も生々「死」の姿が向田邦子には見えてしまう。
 もちろん、そういう死の姿を彼女に背負わせてしまうのは彼女に悪いかもしれない。だが、生涯独身であった彼女とその数々の作品を想うと輪廻から外れてしまうことを背負わされてしまった「女」の悲哀を感じる。だから、代わりに黒柳徹子にはいつまでも元気でいて欲しいと思う。

 日本の小説は家族の中でしか個人を振り返ることができなかったと云われる。また、最近では「癒し」と強調してか、家族というものを再構築してそれぞれの姿を意識的に見る作品が主張されるようになっている。柳美里の「フルハウス」が筆頭に上げられるのだが、「家族」を対象化してしまった途端、「家族」を見詰める目は病理を意識するそれになってしまう。だから、再構築という道しかなくなる。
 たぶん、幼児・学童教育というものを国家的に意識し過ぎたせいではないだろうか。家族という社会では「血の繋がり」と「過去からの輪廻」が大きな重点を持つ。両親が結婚したから自分が此処にいるという事実は、人が思っている以上に重たいものであり、自由な心の動きを束縛する。構図としての自分の家族という形式は、家族というものに人は産まれてからずっと付き合わされなければならない、という現実的な面を強く引きずらざるを得ない。だから、私生児や離婚や片親が差別される。一人っ子が特殊化する。かぎっ子が特別視される。
 下町の家族はもっと普遍性を帯びていたはずだと思う。家族と家族の重なりの地域性の中で、ちょっと違った内と外の狭間の中で、子供は身内とよそ様をうまく意識付けられて来たのではないだろうか。
 重なり合いを持たなくなった家族達は、マニュアルによって画一化された。普通とは違う家族と普通な家族の境目が曖昧になり、結局、孤立化してしまった家族達は、孤立化してしまう子供たちを産み育て、年代が違えば価値も好みも違ってしまって共有するところのない剥離した大人の多層社会を作って来ただけではないだろうか。

 池波正太郎とか谷川俊太郎、司馬遼太郎、開高健は「祖父」を思わせる。私の人生に祖父は存在しない。たったひとりの祖母が遠くの札幌に居たの中学生までであった。
 向田邦子や黒柳徹子は私の母親より十数年上だけに過ぎない。「叔母」という部類かもしれない。
 単身赴任の父を持ち、高度経済成長の真っ只中で育てられた私は、遠い親戚は実際に遠く、「核家族」の象徴のような家族だった。
 さまざまな社会的な懸念を配慮した上で「教育」を意識させられた両親は、長男である私に対して教育熱心であったのは間違いない事実である。だが、いかんせん、今にして思えば、母も父も若かったのだと思う。また、無自覚な部分が多かったのではないだろうか。むろん、これは母や父の個人的な過ちでは決してない。ないのだが、私は私の中で崩壊してしまった「家族」の肖像を立て直すことにためらいを感じている。

 そんな頑なな現状を持つ私にとって「父の詫び状」という「父」の文字が強く光ったのは言うまでもない。娘と父親という関係も興味があり、独身であった向田邦子という存在、事故死であったという事実が、今まで私から彼女を遠ざけていた。だが、今は、ただなんとなく、読んでみたい気がした。

 46歳の時の作品で、文章の内容はぴか一。この6年後に事故死となる。
 エッセーとして綴られるのだが、随筆として必須である「ほっとした共感」に満ち溢れているように思える。
 明らかに「突っぱって」生きてきた人生なのだろうが、「突っぱり」甲斐はあったのではないだろうか。もちろん、解説で沢木耕一郎が云うように『年齢として其処に至らなければ書けなかっただろう』文章には違いない。年輪を思わせる落ち着いた文章である。
 永六輔や鈴木○○がおしゃべりな説法屋の祖父を演じているのとは違って、時代を通ってきた「ああ、そうなんだ」というところが随所にある。

 TVドラマはあまり見たことがないので良く知らないのだが、確か向田邦子が描くTVドラマは暖かい家族ものが多かったように思える。彼女の中に光る「家族」の姿は、口喧しい父と従順な母、私生児・父を育てた祖母、向田邦子を含める4人姉弟、という登場人物達で構成される。その彼女の家族像が何かと暖かく見えるのは、彼女が「家族」というものを真剣に見詰めていたからではないだろうか。
 父という言葉が母よりも多く出てくる。『単なる男でしかなかった父親像』を超えて、嫌いと好きとがない交ぜとなった、家族の肖像が向田邦子の心にはあるような気がする。

update: 1997/09/05
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