書評日記 第364冊
水物語 全4巻 内田春菊
光文社コミックス

 黒沢明と間違えて黒沢清の「神田川淫乱戦争」と「ドレミファ娘の血は騒ぐ」を中野武蔵野ホールで観るはめになった。切符を買って始めて間違いに気付くのだから、なんとも間抜けな話ではあるが、映画の方は間抜けではなかった。
 ポルノ映画……と言い切ってしまうにしては黒沢清監督の意図は明白である。どちらの映画も充分に寺山修司の実験映画を意識している。惜しむらく(?)は、黒沢清の創るポルノグラフィへの嗜好というものが「実験」に忠実ではないということだろうか。ある意味で、一般受けしやすい形に組み直している部分もある。寺山修司の映画の中で強調され過ぎる「実験」に対して、黒沢清はエンターテイメント志向を強めた作品作りをしている。それが「スィートホーム」のような結果的に中途半端だけれどもおもしろい、と評されるような映画を作るに至ったのかもしれない。「ドレミファ娘−」では伊丹十三が心理学の教授を演じているが、日本映画の中で一般大衆をエンターテイメントに導く映画を創る一派なのかもしれない。

 実は、この映画を観る前に、酒見賢一「語り手の事情」を読み、「あるす・あまとりあ」の古本を発掘している。いよいよ、エロスの部分に染まりつつあるのかもしれない。
 
 「水物語」の方は、「こんな女じゃ勃たねぇよ」に似ている。「こんな女−」では、最終的にはだらしない男が撒き散らした出来事の収集を一喝した形で悲劇に終わるわけなのだが、「水物語」の方はそれぞれの人達の相互の見え方という点を重視して、結局のところ、それぞれがそれぞれの被害を被るという形で話は閉じられる。ただ、悲喜劇性を強調する形で教訓じみたものを感じさせないようにか、それとも、そもそもが他人のことなぞお構いなしの世間に巻き込まれてしまうのか、「人の噂も七十五日」というような雰囲気のまま幕は閉じられる。
 まあ、成功を得たのは主人公(?)日下文子というところだろうか。彼女が作家になって終わるシーンは終着駅同様に突飛という結末では決してない。だが、彼女が作家にならずに終わるか否かというところに内田春菊の意図が含まれると云ってよい。これは、もう片方の主人公である中年男性がずっと会社に居座っている・同じ場所に居続けていることへのあてつけもあるような気がする。ただし、それは悪意のような積極的なものではなくて、所詮自ら動かない者は動かないだけに過ぎないという空疎な眼差しかもしれない。
 
 男の立場から見れば、内田春菊の漫画を全面的に肯定するのは危ういような気がする。ただ、私に関して言えば、交友関係が皆無であったところから、ひとつの「定型」に固執してしまった私自身の「世間への目」というものを解きほぐしてくれるような気がする。彼女の描く設定が実際に起き得るのかどうか私にはよくわからない。いわば、男女関係というものが皆無であり、いわゆるおしゃれな場所なるところに行ったことが無く、バーに足を踏み入れたことは無く、ポルノ映画に行ったことはない。その辺のないない尽くしは、「本」より知識として輸入するわけだが、妄想逞しくするしかない過去・現在において、その辺の事情というものに私は詳しくない。
 実際、有り得るといえば有り得るような気もなし、無いといえば無いような気もする。それは個人的な「遍歴」に左右されるものだと思う。
 言わば、「作家」という職業が私にとって決して夢のまた夢ではない程度に感じる私を創った過去というものは、内田春菊の漫画に対してそれほど嫌悪感を覚えること無く、どちらかといえば興味深く読みいる(それが事実であれ空想であれ)ことが出来るということだろう。これは、心理学的見地を私が得ているからかもしれない。事実に対して人が理解できるものは、理解しようとしているものでしかない、という意味において「ひとそれぞれ」ということなのだろう。
 
 結局のところ、中年男性の家庭は崩壊しない。会社でもごたごたが続くが決定的なことにはならない。主人公・日下文子は「作家」になり有名になるが、それは、日下文子を知る者にとって有名に過ぎず、知らぬ者は知らぬままで過ごすことになる。
 それは、「人はそれほど人の人生に関与するわけではない」という遠い関係というものが世間を形作っている柔軟さというものだろうか。すべてを許容するのが現実というものだと思う。
 
 初版は88年になっている。日下文子は山田詠美がモデルなのだろう。
 最近、買った文學界で山田詠美の写真が載っていた。何処にでもいるOL風の立ち姿を見て私は非常に安心した。文庫本に載っている著者近影の金髪・はすっぱな表情から見られるものよりも親近感……というか、「なんだ普通の人と違わないじゃないか」という安心感、なんだかんだ云ってもきちんと彼女は彼女自身の生活を営んでいるという日常性を感じた。

 文學界の新人賞の選評で「今回、何らかの形で、どの作品もセックスを扱っていますが、色っぽくないですよねえー。セックスって、そんなにつまらないもんですか?」と山田詠美が言葉を結んでいる。
 そういう彼女は、もうそろそろ40歳になる。

update: 1997/11/30
copyleft by marenijr