書評日記 第403冊
天皇の料理番 杉森久英
集英社文庫 ISBNISBN4-08-750573-1

 解説にある『天皇家のコック長として名をなした秋山徳蔵の生涯を描いた伝記小説である』という一文で充分だと思う。

 こういう伝記ものは好きなので時期を見つけてはぽちぽちと読むことが多い。多分、司馬遼太郎『竜馬がゆく』に惹かれているからだと思う。誰かの伝記をとある作家が書く。司馬遼太郎や杉森久英がこれぞと思った人の一生を時間を掛けて描く。これは作家にとって「書きたい」という具体的な意思の現われがはっきりすることによって、実際に歴史小説・伝記小説となって出来上がってくる。人生の内で読むことのできる本なんてそう多くないのに、そして、実際に書くことのできる本なんてそう多くないのに、その一冊が存在することは、非常に珍しいことではないか、と私は考えるようになってきている。「それは奇跡的なことだ」と口幅ったいことを云うつもりはない。だけれども、私が坂本竜馬に出会い、司馬遼太郎に出会うことは、それに近い幻想を生み出すのは確かなことである。
 
 『天皇の料理番』はいわゆるサクセスストーリーだから、凡人には味わえない人生なのかもしれない。だけれども、凡人が有名人を羨むのは、凡人ゆえのひがみかもしれない。それは凡人になるべくしてなってしまった凡人ゆえの決断力の弱さではないかと思う。むろん、恵まれていたとも云える秋山徳蔵の出会いの多さは凡人には羨むべきことなのかもしれない。ひとつ若い頃から血気盛んであった彼のように振る舞えなかった凡人だからこそ、凡人で在り続けなくてはいけなかった、のではないだろうか。
 なんとなく、この本を読みながら、杉田玄白と前野良沢の関係を思い出してしまうのは何故だろうか。
 どう生きたって「よい」には違いあるまい。だから、自らを凡人として貶めてしまえば凡人であるに違いない。だからこそ、凡人でありたくないと願い、足掻くのかもしれない。
 
 実は、ざっと読んでしまえば読んでしまえる小説であって、さしたる反発も感慨も覚えない伝記小説である。ただ、『永遠の都』・『坂の上の雲』を読み、『少年H』を読んでいる私には、未だ焦らずに足掻こうとしている自分がちょっとだけ心強く思えるのかもしれない。

update: 1998/1/26
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