書評日記 第406冊
遅れてきた青年 大江健三郎
新潮文庫 ISBNISBN4-10-112605-4

 読んでいる時にずっと気になっていたのだが、村上龍『愛と幻想のファシズム』を想起させる。むろん、『遅れてきた青年』の方は60年代に書かれているので、時間軸上では『愛と幻想の−』が『遅れてきた−』に似ている、と云うべきなのだろうが、村上龍は大江健三郎の作品を熟読しそうな感じはしないし、今という時にある私の立場から眺むればどちらも同じスタンスに立たされているに違いない。だが、双方を読み終わった時点で、敢えて言い直してみれば、『遅れてきた−』と『愛と幻想の−』のスタンスは同じところにはない。これは、『遅れてきた−』が本質に関わることを描いている、という優位がそうさせるのだと思う。
 もちろん、大江健三郎の人生の中で、「戦争」という出来事は彼の個人の系譜を豊かに(それが人類史の中でとてつもなく不幸な出来事であったとしても)したものであるに違いない。それも、戦争に対して兵隊として参加したのではなく、田舎から都会を眺め、戦後から戦中を眺め、それに出遅れてしまったという決定的な事実を彼を持つことになったのである。むろん、その後彼は結婚し、障害児を産み落とし、息子と共に絶望と再生とを繰り返すことになるのだが、60年代に於いての大江健三郎は未だ「戦争」に囚われた存在であった。
 『愛と幻想の−』を描いた村上龍は、佐世保の土地から(彼にとって)希望の地であるアメリカを臨み、それに伴い、彼の作家としての起源であるところの「カリスマ性」を前面に押し出すわけだが、大江健三郎が『遅れてきた−』の中で描く、個人的なもがきに比べれば、『愛と幻想の−』のストーリーは村上龍の幸運な(?)デビューを含めた彼個人の歴史から決して抜け出していないために、共有するところが乏しい。むろん、歴史から取り残されたところにある個人と、時流に拾われたところにある個人とは、自ずと現実社会に対するアプローチが違ってくるのが当然であるし、小説家として読者を対象にしたストーリーを組み立てる中で、それが無意識であれ意識的であれ、作家個人の歴史を逃れ得ないことは確かなことだと思う。だから、未だ達するところに達せざる村上龍を批判するのはたやすいことなのだが、まるっきりの他人としての彼を想えば、彼の働きかける社会が彼自身をどれだけ蝕むことなのかに気付かないことをふと考え、私はそうならざるように自分自身に対して気を付けることが精一杯なのだと思う。
 こういう結論が導き出されるのは、障害児を産み育て、『燃え上がる緑の木』を書くに至った大江健三郎の思想を称えると同時に、私が同意を得る作家&作品は『愛と幻想の−』よりも『遅れてきた−』である、という単純な事実に違いない。これらの結論は、大江健三郎にも村上龍にも関係ない。ただ、加賀乙彦『永遠の都』や妹尾河童『少年H』を思い出すに繋がる私個人の読書遍歴と思想に関わり、この先の私の生き方の根底を成しているものであるに違いない。
 
 果たして、『遅れてきた青年』の読点の使い方のへたくそさ加減は、当時の作家(川端康成とか三島由紀夫とか)に比べれば、決して「文学です」といえるほどの日本語文法への準拠を満たしていない。これは、町田康『くっすん大黒』をはじめとする最近の括弧つきの純文学とは違った挑戦的なものとは違い、無自覚なものであり、それと同時に大江健三郎自身にべったりとくっついた文体・文法である。その独自性・孤高性、悪く言えば鼻高々な態度、周りを見ることができない弱さを、本多勝一のように批判するべきなのか、それとも、個人的な大江健三郎の生活とは別の形で独立した作品として捉えるべきなのか。
 ただ、少なくとも、彼の一貫した態度である「小説家=言葉を模索するひと」という科白は、『遅れてきた青年』にも十分にあてはまると私は思う。そして敢えて比較すれば、村上春樹の小説の比喩は決して「模索」に値しないような気が私にはする。

 客観的にみてどちらが良い人生であるとは云えないのだが、私に合っているのは、大江健三郎の云う「言葉の模索」がしっくりとくる。

update: 1998/2/1
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