書評日記 第424冊
江戸へようこそ 杉浦日向子
ちくま文庫 ISBNISBN4-480-02286-4

 1986年刊行。未だ杉浦日向子は漫画家だった頃。現在の彼女は本書で願望している通り時代考証家になっている。対談は、中島梓、高橋克彦、岡本蛍。解説は泉麻人。
 なお、高橋克彦との対談はどこかずれている。泉麻人はおおずれ。

 黄表紙という女子供向けの絵本。青本というちょっと通好みの本。浮世絵と春画と春本。絵師。江戸の吉原と京都の島原。花魁、かむろ、新造。
 という形で語られる『江戸へようこそ』は江戸という風俗の内に過ごすことを好む杉浦日向子の趣味である。現代社会の中で江戸風に暮らすのではなくて、江戸っ子として暮らす。言葉や環境や服装は別に江戸から伝承されているものを直接使う必要はなく、江戸文化という形の現代社会文化・西欧文化という形とは違った文化基準の自分の生活の中に取り込む。それが杉浦日向子の語る江戸である。

 現代は「経済発展」こそが推奨されるし「最新技術」だとか「最新情報」だとかが価値を持つ。それらを流通させて金儲けをして「良い生活」を送ろうとする。また、それが「裕福な生活」だということになっている。「流行」というものが世界中を駆け巡ることによって日本という国が相対化され「外国」を意識する。「追随」するのに疲れてしまった昨今においては「追随しない」のが「流行」になる。どちらにしろ、あまり独立した姿ではないのは確かなところだと思う。
 江戸という時代も現在と似てなくもない。ただ、決定的に違うのは「外国」がなかったということだと思う。あえて経済発展をする必要もなかったし、外貨を獲得して諸外国から離れて裕福になる必要もなかったし、それほど金銭が流通していたわけではない。情報が駆け巡るのも世界規模ではなくてせいぜいが町内規模であり、「身分」という絶対的なものがあったから、上流社会である「武士」と下流社会である「町民」とは全く別の種族として相憎み相羨みして過ごしていた。そこから厭世嗜好が出てくるのか風雅が生まれるのか自暴自棄が生まれるのかは個人の問題であるものの、決定的な「個人」を持たなかった江戸という時代ではさほど悩むことなく自分を社会に住まわせていたと考えられる。

 「江戸時代はよかったなあ」と思うほどに江戸がよかったのかといえばそうではないだろう。少なくとも自己肥大極まる現在の人間がぽんと江戸に住んだところで決して幸せにはなれないだろう。石川栄輔が江戸を題材にしたシリーズを書いているが時代考証は別として、主人公が裕福でなければ江戸の長屋にマッチさせることができないほど、江戸という時代はそれぞれの身分分けが強固であったと云える。ひとつの身分に収められたら最後、一生その身分の中で過ごすのが普通であり常識だった、ということだと思う。翻ってみれば、現代社会は子供時代には教育により身分を越えることができるような希望を持ち、それを育てる親は親なりの身分で子供を見るという歪みの中にあるわけだから、一概に自己なんてものを意識するのも善し悪しというところだろうか。
 そのあたりの批判は別として、「江戸」に飛び込んで自分なりの江戸感覚を身に付けたいという嗜好が杉浦日向子の江戸時代考証への理由だと思う。もちろん、実際に江戸文化の研究を飯の種にしているひとは事細かに比較対照させる「現代の研究」を追求しなければならないのだろうが、ひとつ江戸風に物事を弄んでみるのも一興というところだろう。
 そういう自然な接し方が「通である」ということ。だから、高橋克彦は野暮であって、泉麻人は下司。

update: 1998/2/22
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