書評日記 第438冊
イギリス人の患者 M・オンダージュ
新潮社 ISBNISBN4-10-532801-1

 訳者・土屋政雄は、カズオ・イシグロの『日のなごり』の訳者。
 ハナという名の看護婦から思い出すのは、槇村さとるの『半熟革命』。
 
 言わば、兵士の奏でる恋物語。病院のベットに寝ている男の患者が語る形式のオムニバスな物語。すべては過去のことなのだろう。薄暮とも云える。ただ、悲惨さも闊達さもない兵士の過去があり、兵士として過ごした時間が其処にある。第二次世界大戦の最後の頃である。
 
 「悲惨さ!」というほどの悲惨さはない。だが、「幸せ!」といえるほどの幸せはない。少なくとも、戦争中には幸せはない。同時に悲惨さもないのかもしれない。戦争が終わってはじめて振り返ることができるのかもしれない。
 反戦的なものではないが、好戦的なものでもない。それぞれが夕闇直前の詩(うた)を聴くように、それぞれが痛みを知る、ということだと思う。黒く焦げた腕が印象的で、その印象のみが、当時の戦争を思い出すことのできる遺留品ということだろう。
 
 こう書いてみて思うのだが、読んでみて、いまひとつ印象が薄い。悪い意味ではなく、良い意味で薄い。詩的要素の強い物語であるから、読み終われば印象のみを残して消えてしまうのが一番よいのかもしれない。感想を書こうなんてすることは野暮だ。
 
 ただ、印象的なのは「男」という単語と「女」という単語であった。現実として、どのような容貌を備えている「男」なのか「女」なのかよくわからないが、「男」の象徴として物語に「男」が存在し、「女」に恋をする。または、「女」が「男」の世話をする。そんな、ふたりの関係が綴られていたような気がする。
 だから、思い浮かべるのは、己の唯一の女性――私は男性なので――であり、また、女性ならば唯一の男性なのだろう。そんな、異性への目を描いた、詩、であったような気がする。
 

update: 1998/7/6
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