書評日記 第439冊
野菊とバイエル 干刈あがた
集英社文庫 ISBNISBN4-08-748571-4

 少女時代の想い出を描いた物語。解説・斎藤慎爾によれば「教養小説(Bildungsroman)」という分野。
 妹尾河童の『少年H』や半村良の『晴れた空』のように少年時代が描かれるように『野菊とバイエル』は表現されていると思う。群ようこの『膝小僧のかみさま』のようなものかもしれない(…こっちの方はちょっとトウが立ってしまうが)
 
 時代は、終戦直後。ただし、東京郊外にある田舎の村が市に変わるように、戦争の傷痕とは遠いところにある夕焼けの世界が広がる。もっとも、このように描かれる小説の常であるように、子供の世界から「戦争」という時代は遠景といして描かれるに過ぎない。
 ほんとうならば「時代差」を感じざる得ないところかもしれない。実際、『少年H』の時代背景を、そのまま私の少年時代の時代背景に置き換えることはできない。ただ、昭和30年代、40年代とさほど豊かではないにしろ、自分たちがさほど貧しいとも思うことのない「ゆたか」(または「おおらかさ」)が、その時代にはあったということかもしれない。
 
 村と町が一緒になって市になる。PTAのごたごたがある。未だ教育書が発達していないにしろ、教育熱心な親は居て、そして、「教育熱心な親」がはびこっていた時代。今も同じかもしれないけど、まだまだ多様性が浸透していなかった頃。時代が若かった頃。大人たちと子供たちが区別されていた頃。そして、あたたかい教師がいた頃。
 学校教育が、親と一体になっていた頃。両親たちが教師を仲間として感じていた頃。または、感じはじめた頃。それでも徐々に進学というものが匂って来た頃。ちょっとお金持ちの子がいて、ちょっと貧乏な子がいたけれど、大抵は貧しかった頃。だからなのか、それほど疎まれてもいなく、他人でもなく、ほどよく大人たちが子供をかばっていた頃。
 干刈あがたの小説は、それほど牧歌的ではない。だが、辛辣でもない。抓った痛みが時にはなつかしく思われ、自分なりのひとつの「教訓」を生み出してしまうような想い出となるような小説である。
 それは、まさしく「雰囲気」を持った作家だと思う。
 
 主人公のサカヱは、小学2・3年生にしては、ひとつ考え深く、ひとつ時代にかすれてはいない。とある意味で、主人公の様相を正しく(?)描いていないのだが、それは干刈あがたの意図があったのだと思う。また、それほどに干刈あがたが彼女の人生に鮮烈さを残すためが故、のような気もする。
 
 私にとって、読むたびに、一冊読み終えるたびに、彼女の著作の残り少なさを残念に思う、読み終えてしまうのがもったいないと思える、唯一の作家である。

update: 1998/9/1
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