書評日記 第452冊
犬婿入り 多和田葉子
講談社文庫 ISBNISBN4-06-263910-6

 目次より、『ペルソナ』、『犬婿入り』。
 『犬婿入り』は、93年に第108回芥川賞受賞作品。
 
 端的に言えば、『ペルソナ』は『犬婿入り』よりも格段に落ちる。解説者・与那覇恵子により、ドゥルーズ的な解析が行われているが、一般的な読者にとっては不必要であると思われる。私にも不必要であった。
 小説の雰囲気は、柳美里に似ているのではないだろうか。もちろん、柳美里の方が後なのであるが、小説の中にある力強さは柳美里の方が上のような気がする。
 櫛田節子の作品を読むと、山田詠美とは違った印象を受ける。これは同性ならば当然のことなのだろうが、異性である私にとっては、時として不思議なものと映る。
 ただし、ルグウィンや栗本薫の作品を読んだ時は私は違和感を感じずに済む。端的に言えば、文章の中にどうしても潜んでしまう異性のニオイを彼女たちの作品の中から嗅ぎ取ってしまうからではないだろうか。
 もちろん、異性の文学として読むこともできる。ただし、その場合は、ドゥルーズ的な解釈を持ち出してしまうほど意味付けをする必要は無い。不可解な部分は、そのまま異性としての不可解さに溺れさせることが可能であり、ともすれば、司馬遼太郎や安部公房とは全く違う人種として存在させてしまう排他的な装いを私は持ってしまう。

 それを踏まえて、敢えてこの作品に踏み込めば、作者・多和田葉子がドイツに住み、その時空間から得られる実体験を、描き出す異様さの部分に特筆すべき点があると言える。きつい言い方をすれば、『続明暗』の作者・水村美苗と同じスタンスを持つがゆえの「優位」であろう。
 ただ、日本文学が「日本文学」に固執している間に、文学の衰退と文芸雑誌の不振――随分まえからなのだろうけど――や活字離れ、を社会現象にして定着させてしまったことに対して、漫画やテレビドラマと同じ立場から、小説も再出発をし始めた、ということだと思う。つまり、歴史的な大作を作るのではなくて、短期で娯楽的な手軽さと執着の無さを日本人は求めている、という事実である。
 それの沿った形での購買意欲、読者との疎通、芥川賞・直木賞の役割が、この小説の外に存在していると思われる。
 
 単独でこの作品を評すれば、『犬婿入り』にはユーモアがあり、『ペルソナ』はそれが薄れている。一読の価値のみか?

update: 1998/10/27
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