書評日記 第471冊
ウィークエンド・シャッフル 筒井康隆
角川文庫 ISBNISBN4-04-230526-0

 スラップ・スティックが文学になるかどうか、私は知らないのだが、筒井康隆の死後、彼の小説は国文学の対象になるかことは確かなことだと思う…もちろん、それまでに「文学」が残ってることが必須なのだが…。
 ただし、そういった権威付けをしなくても筒井康隆の小説は十分に私に影響を与えている。また、他の人にも与えているだろう。毒にも薬にもなる悪書であって、毒にも薬にもならないベストセラー小説・作家とは一線を画する。エンターテイメントでありSF小説でありドタバタであり、それでも尚、私にとって安部公房や大江健三郎と並ぶ影響の大きい作家であるのは何故だろう。
 たぶん、一貫して反体制である彼の態度に魅力があるのかもしれない。また、単に反体制派だけではない非保守な生活態度に憧れるのかもしれない。
 
 …と、ここまで書いたのだが、そんなことはどうでもいいことなのだ。言わば、星新一、小松左京、半村良、横田順彌、豊田有恒等と共に日本のSF界(特にショート・ショートの技法)を模索して来た人なのだ、という認識が私にはある。そして、小難しい文学理論であるより先に知的なエンターテイメントであるブラックな笑いを得られる希少価値がある。
 「ブラックな」と書いてしまうと、悪徳小説(ピカレスクロマン)に当てはめてしまうかもしれないが、サドの小説とは全く異なる。性的な場面の笑いは乾いたものである。善に対する悪を描くのではなく、ただただ「毒」であることを望む。一風変わった思想・行動を架空の世界で実験しデコレーションする。決して主流にはならないのだが、副流として社会に確実に必要な流れのようなものである。
 現在では、サブカルチャーというカテゴリを設けて、自分と他人の嗜好の違いを生活様式の違いとして分け隔てる。互いに乖離し接触しないように努める。相互にコミュニケーションが無いものの、相互に過剰な認知を与えて柔らかい防壁を求める。それとは、全く違うものが筒井康隆の小説にはある。それは、過剰な憤怒であったり、過敏な態度であったりする。また、そのように見える。だが、実のところはそれは「過ぎる」ものではなく、一般大衆の鈍感さに苛立ちを持ち、同時に、一般大衆とは鈍重であるからこそ一般大衆なのだという諦めを見て取る。そして、解る者(誤解を恐れなければ「選民」という言葉を使いたいのだが)だけが解るという、作者が読者を選ぶ形式に至る。
 世の中には芸術的な感性を求める作品もあろうし、ディスコ・コミュニケート的なスキゾタイプを求める作品もあろうが、毒に浸る悪趣味(と云う)ものもある。それが実現されたのが筒井康隆の小説であり、日本の常識とは無縁の場所に彼の世界性があるのだと私は思う。

update: 1999/02/02
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