書評日記 第473冊
文学部唯野教授の女性問答 筒井康隆
中公文庫 ISBNISBN4-12-202889-2

 『婦人公論』1991年1月号から12月号までの連載。
 
 質問者の方が架空であるのか否かを知らないので迂闊なことを書くと笑われそうだが敢えて立場を決めておくならば、架空なんでしょう、たぶん…。まあ、ほんものの投稿だとしてもなんらかの意図があって選んでいるわけだから、あまり変わりはない。
 事実は小説よりも奇なるわけだから、さまざまな人が生み出す疑問はひとりの回答者の手に、いや、頭に余る。中島らもの『明るい悩み相談室』しかり、井上ひさしの『日本語問答』(…だったか?)しかり、学術的な専門分野を持っているわけではないにしろ、それぞれの回答者の思考手順の域を出る代物ではない。だが、これは決して欠点ではない。
 ちょっと逸脱する。心理学の派はさまざまに分岐している。だが、患者はそれぞれの派の精神医のところに通い、治ったり治らなかったりする。また、心理学の本を読んでひどくなったり立ち直ったりする。夢が現実への補償であるように、心理学のそれぞれの派が総体としての人の心のバランスを戻そうとする。方法が異なるのではなくて、さまざまな現実によって抉られた心の欠損を埋めようとすし、其処にそれぞれの心理学・学説を応用する。また、夢を見ることによって自己補償が行われる。
 だから、さまざまな質問コーナーで上げられる質問と回答のセットは、さまざまな状況の人に対処すべく、定型から非定型から慰めから罵倒まで用意されるべきである。そして、実際そうなっている。

 ま、そんなことはどうでもいいのだが、ポスト・モダン的な回答を唯野教授が続けていけているか、というとそうでもないような気がする。心理学なり社会学が一般認知とされている現在においては、ポスト・モダン的であろうとするか否かを読者は選択し、それぞれの学術知識に照らし合わせて自分なりに解釈する手法を習得していると私は思うのだがどうだろうか。
 つまり、いわゆる「蘊蓄を垂れる」ぐらい誰でも出来る程度に情報番組によってサブカルチャーが氾濫し、認知させ、オタクとインテリとの融合・融和、あれあれこれこれと、ジャーゴンをちりばめることによって、虚妄と幻惑とのはざまに読者を惑わすことが可能になったのではないだろうか。この文章のように。
 
 そういえば、『婦人公論』は『女性公論』に改名されたのだろうか。そんなことにやっきになっていた時代だったような気がする。

update: 1999/02/03
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