書評日記 第487冊
寺山修司 太陽編集部編
平凡社 ISBN4-582-63325-0

 旅行の前日は気が重い。期待感と当日までにやらなければならない「余分なこと」をあれこれと考えて夜遅くまで過ごすのが常である。
 明後日の朝には三沢市の寺山修司記念館に着いているはずだ。過大な期待に沿うような結果が待っているのか、それとも、ひとつ活力を得たいという助力が待っているのか。どっちにしろ、重要な意味を添えた「気分転換」になるはずだ。
 予習というか、再度、寺山修司の作品を確かめたくて頁を捲っていると、彼の追っていたものを私自身も追ってみたい、と思い込んでくる。「異様さ」という言葉で表されるのか、映像を通した彼の持つ執拗な日本らしさは、私達の目になじんだ日本らしさとは異なる。が、全く異なるわけではない。青森県三沢市という東北の土地で繰り広げられる温床は、私自身の見て来た日本とは東京とはズレている。そう、「ズレ」として表される似通った感じ、だが、私小説的な偏愛する個人主義の匂いを感じる。非常に良い意味で。
 
 私が寺山修司の名を知ったのは彼が既に故人であり、既に「異才の神」として君臨する一般名詞になっていた。彼の著作や映像を「追う」というほどには追っていなかったものの、「寺山修司記念館」の名前を去年に知った時から行ってみたいと思い続けてきた。
 本来なら、遠い東北の土地は永遠に遠い土地なのかもしれない。札幌に実家を持つ私であるが、東北は遠い。また、井上ひさしの産まれた土地でもあり、石川啄木の生地を尋ねた美樹本晴彦の絵を思い出し、なにか「東北」に妙な思いを重ねてしまうのだが・・・、ほんとうのところは「東北」という括りは大雑把すぎるのだけど。
 と、感傷的になるのは、旅行前の不安もあるため。見知らぬ土地の期待感よりも不安を感じてしまうのは閉塞しつつあった(と過去形にしておく)私の日常生活を示しているのだろう。
 
 だからこそ、「書を捨てよう、街に出よう」と、東京を離れる。

update: 1999/04/30
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