書評日記 第488冊
人間とは何か マーク・トウェイン
岩波文庫 ISBN4-00-322113-9

 会社の席を引っ越し。その後で上野に直行。明日の朝には三沢に着く。
 寺山修司記念館に行くのに本を持って行ってしまうのは無粋だと思うのだが、これぞという一冊(と意気込むほどではないけど)を夜に選んでいた。そのまま札幌の実家に戻るので長く読める本でもいいのだが、寺山修司記念館に行く手前、はずした本を持って行くのも気が引ける。普通ならば推理小説とかを持って行くのも良いのかもしれないが、そこには思い至らず、『魔の山』か『存在と時間』かと迷った挙げ句、なぜか、マーク・トウェインの『人間とは何か』に落ち着く。が、あまりにも薄いので、ヘミングウェイを一冊追加(弱い・・・な)。
 
 と、通勤途中に読むのが習慣なので、つらつらと。老人と青年の対談なのだが、老人の言う「人間は自分に利益になることしかしない」というテーマ(これが『人間とは何か』のテーマ)は、『利己的な遺伝子』を彷彿とさせるのは直接的な繋がりがあってのことだろうか。マーク・トウェインがこれを書いたころには『利己的な遺伝子』が出版されていたか?
 フロイト心理学に魅了される小説は多い。利己的遺伝子の方も少なくはない。最近は、『パラサイト・イヴ』からの派生だろう、細胞とか遺伝子の話が多い。――もちろん、日本だけの現象だろうし、私が読んだ範疇で、という但し書きが付くけれども――『人間とは何か』の中で書かれる「人間性」とはなんと洞察力の鋭いことか!、と思う。(陳腐な感想の表し方だが…)
 
 昨夜ふと気付いたのだが、自分の文章の語彙が極端に減っている。高橋源一郎が『退屈な読書』で言うところの「読みやすい本ばかり読んでいては本を読む歯がなまってしまう」ことなのかもしれない。昨日の日記で旅行前への不安を表すのに「不安」という単語しか思い出さなくて、「緊張」という言葉が出てこなかったのは何故か。頭が固く、思考の範囲が狭くなっているからかな。
 だから、古典を読もうとして『魔の山』を旅行に持って行こうかと思ったのだが・・・、まあ、そんなに急くことはあるまい。

 ある種の切迫感を無理に出して、毎日書評日記を書いてみる。最初の頃とは全く異なる余裕が自分の中にあって、その「余裕」はいらないものではないか、とも思ったりする。
 だが、狭い視野の中に安住する「がむしゃらさ」は狭い視野を脱しない。だから、知った上で既知のものとして意識的に行動する方がいいのだ。と、『人間とは何か』の最初の十数ページを読んで思う。

update: 1999/04/30
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