書評日記 第508冊
ルームメイツ 近藤ようこ
小学館文庫

 「ビックコミック」1991年3月25日号から96年10月25日号まで。不定期連載。
 
 60歳を過ぎた三人の女性が一緒にアパートに住む。元小学校の先生、元愛人&芸者、元主婦、という組み合わせは「ルームメイツ」という世界を広げるに十分な要素を含んでいる。その分、3巻めが慌ただしく取り纏められてしまったような気もするが、それもひとつの楽しみ、ということだろう。
 離婚を決意した元主婦は離婚する結末を得る。ふと、元のさやに戻ることが家族の幸せのような気もするのだが、実のところ、息子・娘が既におとなになり結婚している状態では、家族とは三人の女性の集まりを意味する。
 結婚せずに60歳を過ぎ、そして、結婚する元教師。二号という立場を離れられない元芸者。人生をどう生きようとかまわないはずなのだが、ここにいたらなければ分からない苦しみもあり、また、楽しみもあり、思っても仕方が無い周りへの嫉妬もあり引け目もあり、自分の知らない自慢もある。
 
 近藤ようこの描く女性像は、吉本ばななや山田詠美の小説に出てくるような若く自由な女性ではない。過去のしがらみ、というか、過去にある日本の形式を重く引き摺った形で出現させられている。干刈あがたの描く離婚した母親や、佐野洋子のエッセーのように「ふつう」を意識するわけでもなく、現実と仄かな理想との折り合いを見つける。そこが、男である私には、妙に女くさくあるものの、近藤ようこの漫画は好ましく感じる。一番、現実を引き摺っているようであって、一番、現実から遠いのではないか、と思う。
 男性の描き方もそれほど理解のある男ではない。内田春菊の漫画のように典型を「かたち」にしてパロディするわけではなく、ひどく伝統的なにおいを漂わせつつ、それほど家族や妻を顧みないわけではない。これは、其処に至れば誰も気付くのかと思わせると同時に――事実、近藤ようこの漫画を読むと「気付く」場合が多い――、流される日常生活の中ではただただ流されてしまう事実なのだと思わせる。
 この漫画を読んでいる途中、「折り合い」によるわだかまりを読者は感じ続けるかもしれないが、通俗小説や恋愛小説では欠けている部分(敢えて削ってあるのかもしれないし、忘れてしまっているのかもしれない)が、日常生活と作品を混交させるためである。もちろん、創作であり希望であり、ちょっとした御都合主義も入っているのだろうが、それは単なる虚構とは違うような気がする。

update: 1999/06/24
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