書評日記 第513冊
板極道 棟方志功
中公文庫 ISBN4-12-200291-5

 棟方志功自身の自叙伝。
 
 扉から。
 明治36年(1903)、青森県青森市に生まれる。
 高等小学校卒業後、家業を手伝い、また青森地方裁判所給仕をしながら絵を描き始める。大正13年、初めて上京する。昭和3年、板画の道に入る。この年、油絵が帝展に初入選。その後、柳宗悦、河井寛次郎らの薫陶を受けながら板画の製作を続ける。昭和13年、板画『善知鳥』で帝展特選となる。戦後、国際的にも注目されるようになり、昭和30年、サンパウロで開かれた国際美術展板画部で一等賞を受け、昭和31年には、ヴェニス・ピエンナーレ展で国際板画大賞を受ける。昭和34年、外遊。アメリカの諸都市の大学で講演、この年、青森県第1回文化賞を受ける。昭和40年、朝日文化賞を、昭和45年、毎日芸術大賞を受ける。同年、文化勲章を授与される。昭和50年9月没。
 
 棟方志功の板画の印象をひとことで云えば「菩薩」に尽きると思う。本書でも語られているが、棟方志功は女性の肉体の美を描くために「菩薩」に行き着いた。これが、いわゆる日本の原始女系社会を意味するのか(西洋宗教がキリストという男根主義に根底に抱いているのに対して、東洋が女性味を帯びた菩薩を作り出したという意味で)さだかではないが、彼の板画には男子唯物的な偏重がすくない。
 と、青森市にある「棟方志功記念館」はひどく狭い。いや、普通の記念館が作者の全人生を一気に掲載するために場所を広く、展覧される品を多く掲げてしまうのに対して、これは棟方志功自身が記念館の端書きに書いていることだが「みる人の利便をはかって、1時間ほどで見終わる程度の広さ」に記念館の敷地は制限されているし、展覧品も数多くはない。その時は多少物足りなさを感じずにいられなかったが――わざわざ、見にいった、という理由もあるからだろう――、ひと通りではなくて、いくつかの機会ごとに出会っていくべき「作品」であるならば、なにも一度で満腹する必要はないのである。
 
 棟方志功の質は、川本喜八郎(人形作家)の質に似ていると思う。生っ粋の閉鎖的な文学嗜好ではなくて、大衆を視野に入れた芸術性、いや、思うところを思うままに続けることによって自然と産み出される「人生」という形のような気がする。
 毎日毎日、板画を彫り続けることによって出来上がる彫りの技術は、伝授可能な体系的な高等技術とは違うけれども、日々の継続によって始めて突き止められる積み重ねの上にある其の人らしさ、である。晩年のピカソが焼き皿を作ったように、晩年のダリがペン画に走ったように、長く続けることの意味を感じさせてくれる。
 そう、少なくとも、初期の作品よりも晩年の作品のほうがぐっと良くなること(むろん初期作品にこそ、気概も含めた勢いがあることを踏まえつつも)が、私を納得させてくれる。
 
 自叙伝ということで金子光晴の『どくろ杯』と比べてしまうのだが、文学的背景(金子光晴が詩人であるということから)を抜きにすれば、棟方志功のほうが随分と興味深く読めるのは、私の好みの違いからなのだろうか。

update: 1999/07/12
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