書評日記 第519冊
犬狼都市(キュノポリス) 澁澤龍彦
福武文庫 ISBN4-8288-3020-0

 澁澤龍彦の名前を今更、不朽と再認識する必要はないのだが、手間を惜しまなければ、単なる博識学者としての知識だけではなく、知識欲と人生への投資によるバランスに長けた時間を持ち得た者として、稲垣足穂の「美しさ」に並ぶと思われる。
 稲垣足穂が、機械幻想(システマティクファンタジー)を書く一方で、『A感覚とV感覚』のような一種偏執的な文章を残すことと同じように、澁澤龍彦は「犬狼都市」、「陽物神譚」、「マドンナの真珠」を描く。石川淳の『紫苑物語』に似ている。
 実は『家畜人ヤプー』にも似ている。幻想文学が「幻想文学」というジャンルに区分された時、自然と、幻想的であろうする小説と、幻想的にならざるを得なかった小説とに分類できる。『犬狼都市』や『家畜人ヤプー』は詳細に描けば描くほど、幻想的にならざるを得ない。そういう点で共通している。
 
 短編――と言ってよいと思う――である「犬狼都市」はその「硬質」な文体に支えられている。澁澤龍彦という著者名を取り除いてしまえば、ひょっとすれば、古風な童話として巷に溢れる幻想文学に埋もれてしまうかもしれないが、的確なリズムと言葉を交えた、語り掛けられる気持ち良さ――これは大江健三郎の云う「語り(ラナティヴ)」に通じる。耳ごこちの良さ――は、彼の持つ語彙の豊富さとその混交の中から拾い出す手並みの良さを想像させる。
 たとえば、多和田葉子の『犬婿入り』と比較すれば、彼女の文体には隙が多いことに不満を持たざるを得ない。――ゆえに、多和田葉子の小説を難しいとは思わない。――私は宮澤賢治、長野まゆみ、とは違った形の想像力の実践を澁澤龍彦は「犬狼都市」に表しているのである。
 また、「陽物神譚」の中に繰り広げられる、「陽物」という男性性が、その象徴としての男という種族、女という絶対的な被支配層、その逆転、そして倒錯性、破滅、という物語の流れは、ふと思えば使い古された物語の原型に沿った神話の焼き直し、とも云えるのだが、どうなのだろう。少なくとも、澁澤龍彦の書く文学は、男性性と女性性、社会制度を強く匂わせるものが多いのだが、それらはきっぱりと現実社会とは別離しているような気がする。多分、あたら神話性を匂わせる疑似(と云っておく)物語が暗黙哩に現実に根拠を求めているのに対して、強く原型を背負っていても注意深く描かれ構築された小説世界は明示的な現実社会の揶揄でさえも、読者は幻想と現実の間をスムーズに行き来できるのかもしれない。

 小難しいことを書いてしまったが――単にひねくりまわしたと言えるかもしれないが――、ひとつ古風な源泉に立ち返るのも、必要かと思った次第である。

update: 1999/08/15
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