書評日記 第532冊
夏至南風(カーチィペイ) 長野まゆみ
河出文庫 ISBN4-309-40591-6

 アエラだったと思うが、「少年は女性の癒しである」という記事があった。栗本薫が「ジュネ」について書いた論説を読んで分かったのだが、男性→美少年、男性→美少女という公式が好まれた/必要であったと同様に、女性→美少年という公式も必要であった。(女性→美少女という公式は好まれているのか……は私は知らない)
 つと、近親相姦が解禁になったH漫画を捲っていると(これは「成人漫画」というジャンルを作ることによって〈良識ある大人〉にとっては有害な影響は与えないであろう、という妙な「表現の自由」の結果なだろうか?)、それとあまり変わらない展開が「夏至南風」には見られる。もちろん、巷のH漫画が男性の側から描いたものが多い(女性が作者であっても)のだから、それに「夏至南風」を含めることはできない。しかし、鏡面的なものとして、長野まゆみがとある世代の少女達(と書いてある)に非常に支持されているのは、そんな性的な理由があると思う。
 「夏至南風」は長野まゆみの出世作だそうだ。だからこそ、この後に続く「少年アリス」や「テレビジョン・シティ」などに描かれる〈少年〉という存在から派生する数々の物語は、川端康成が「眠れる美女」に含まれる短編・美少女の片腕を愛撫する青年(?)の姿とは別の根元を持っていると私は思う。
 で、そのようなメルヒェンを共有する者は稲垣足穂であったりする。片方で「千夜一秒物語」を書く傍らで「A感覚V感覚」を書くのは、その両方を以ってでしか達成し得ない領域があるのではないか、と思わせる。あの中勘助が実生活では幼女に惚れていた(と富岡美惠子が暴露?する)ということは、イコール隠蔽される部分が昇華されるに至る過程を想像させる。
 となると、私が「夏至南風」以前に読んだ「テレビジョン・シティ」に含まれていた深みの感触が、今はじめて「夏至南風」を読み回帰することによって知り得た、ことになるのだが、ほんとうのところは解らない。
 ストーリーとしては、さしたる「事件」があるように見えない。描き伝えるところは、叔母と主人公の少年の組み合わせ、中国風の名前&発音、名詞、のような気がする。重苦しくないメルヒェンであり、かつ、決して浅くないメルヒェンである。

update: 1999/10/22
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