書評日記 第546冊
レキシントンの幽霊 村上春樹
文春文庫 ISBN4-16-750203-8

 村上春樹の文章は良くも悪くも独特な影響を与える。彼の小説を読んだ後は彼に似た文体で小説を綴ってみたくなる。典型的な物語と都合のいいシュチエーション。ラストシーンは良くもなく悪くもなく茫漠としたもの。だが、かつて(今もそうなのだろうか?)村上春樹もどきの新人賞応募作品が多かったことから、村上春樹もどきはたくさんいるに違いない。そして、村上春樹はただひとりで十分ということだろう。だから、真似をしてもたいして面白くもない。
 読む側から言えば、評価は難しい。河合隼雄の云うように「たましいのむずかしい部分」を村上春樹自身さえも分からないままに自然に(あるいは無意識に、無自覚に)書いているのだろうが、村上春樹の小説を読んでいる最中に起こる憂鬱感とそれに浸る心地よさは、あまり「よくはないものだ」と私は直感し始めている。これは、別な読者によれば「魂が救われる感じ」がするとか、「ある種の回答を得たような納得感」という読了感を得ることができることと矛盾しない。つまり、特定の読者を選んでいる、のだろう。
 もちろん、一蹴してしまうには惜しい文学性はある。これは、重松清「ナイフ」と読み比べ(実際には思い出し比べ)て分かった。重松清には無い「質」を村上春樹は知っている。澁澤龍彦や谷崎潤一郎とは全く違う「質」感ではあるが、同じ次元の「質」を持っている。だから、ファンが付く。(と思う)

 さて、この短編集に含まれるものは、手法的にジェラルド風であり、ひょっとすると彼が続々と訳しているアメリカの作家風であるのかもしれない。
 読んでしばらく経ってこれを書いているからなのかもしれないが、全く感想が出てこない。さしたるストーリーがあるわけではなく、さしたる強い印象を与えるわけでもなく、ただ、「村上春樹」というカテゴリを固持している作品群だと言える。それはそれでいいのかもしれないが。村上龍とは違うということか。

update: 2000/01/31
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