書評日記 第547冊
海の上のピアニスト アレッサンドロ・バロッコ
白水社 ISBN4-560-04670-0

 映画「海の上のピアニスト」を観てから原作を読んだ。映画の中で出てくるジュゼッベ・トルナーレ監督好みの少女の絵姿は映画全体の統一感からはひどくかけ離れていたからだ。「シネマ・パラダイス」や「イル・ポスティーノ」を映し出したトルナーレだから、ひどく古風な――ある意味ではジョージ・ルーカスに似ている――少年の心情から見た少女へのまなざしは、彼自身の映画には不可欠な要素だったに違いない。ただ、ラストシーンでナィンテーン・サウザント(原作ではノヴェチェント)が語る長い科白のくだりに繋がるには、途中に出てきた「少女」の姿は、ひどく作品全体を混乱させるものになったように思える。それが「タイタニック」に続く興行成績一番の作品であったとしてもだ。――もっとも、大衆へのアッピールはそういうものなのかもしれないが。
 ひるがえって、バロッコの原作「海の上のピアニスト(ノヴェチェント)」を読むと、ひとり芝居の脚本として書かれたにしては小説的であり、一本の短編にしては閉鎖的な空間(イコール、船の中というイメージも含めるのだろうが)を強調している。ひとりを強く意識させる「一人芝居」という形式から、ひとりのトランペット演奏者が語る天才ピアニストの肖像、そして、最後に長いため息とくだらないギャグを飛ばす天才ピアニストの姿が、しっくりとまとまっている。ジャズで決闘をするシーンはひどく映画的効果を求めていて、小説的な今風さを持っている――これはジャン・フィリップ・トゥーサンに似ている――書き方ではあるが、「演出」としては悪くないし、伝説的な天才ピアニストの世間体的な才能を際立たせ、逆に船から一歩も出られない待遇を受け入れる続ける態度(それは、甘えかもしれないし、ノヴェチェント自身が主張する「生き方」かもしれない)は、読者にひとつの物事を集中して考えさせてくれるに十分な統一感/揺らぎの無さを提供してくれる。
 これは、小説(脚本?)と映画の一般的な違いなのだろうが、一方で読者/視聴者がみる画面の大きさの違い、時間の流れの違い、読み手に委ねられる自由度を示しているような気がする。だから、トルナーレは「少女」という現実的な華を導き出したのだし、バロッコは芝居小屋の現実的な狭さに忠実にストーリーを進めて行ったのだろう。
 ただ、現実的な教訓話は「海の上のピアニスト」には似合わない。別世界ではないところにある伝説が、きちんと「伝説」として身近になるところが、この作品の魅力だと思う。

update: 2000/02/18
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