書評日記 第549冊
家族漂流 小林信彦
文春文庫 ISBN4-16-725604-5

 サブタイトルが「東京・横浜二都物語」となっている。内容は「みずすましの街」という手の長いやくざの話、「息をひそめて」・「丘の上の一族」という奔放な一族の話、「家の旗」というとある戦後の興隆を極めた外人の話、となる。どれも自伝的な匂いが強く、事実、それぞれの話にでてくる人物は、作者・小林信彦の子供の頃に出会った実在のひとをモデルにしている。
 唯一、「みずすましの街」だけが小説らしく(?)想像の領域が多いと小林信彦はあとがきで語るのであるが、「唐獅子株式会社」の前哨戦を思わせる〈やくざ〉への愛着は、いわゆる小林信彦を形作ってきた現実と願望の差に潜んでいるものなのだろう。

 この短編集の中にある四つの作品は、それぞれ芥川賞や直木賞の候補作になったという。だが、どれも受賞していない。小林信彦自身の言葉に「あの『唐獅子――」が駄目だったのだからどうしようもない」という諦めというか文壇への呆れがある。町田康の「くっすん大黒」が芥川賞を取れる今ならば、「唐獅子――」も文壇に認められた――それが作品自体の価値を左右するものでないにしろ――かもしれない。井上ひさしの「吉里吉里人」は星雲大賞だったろうか。
 ともかく、「家の旗」は悲哀というかユーモアというか現実に根ざされたところから出てくる可笑しみがある。それは「上質なユーモア」として語られるわけだが、最近の文学作品にはない個性がこの作品にはある。――もっとも、個性のない作品を読むことを私は避けているので、漠然と「個性のない売れている作品」という言葉を使うのだけれど。
 阿佐田哲也のような、と言えばいいだろうか。前向きな社会性とか問題意識とか犯罪とか話題性とか流行とかとは別にある確実に流れている潮流というものだろうか。一見すればなんとはない作品ではあるのだが、小説を読むことの楽しみを一番引き出してくれる風情を「家の旗」は持っている。もっとも、昨今の量的に溢れる小説群の中では確実に埋もれてしまうものではあるのだが。それは残念と言うしかない。

update: 2000/03/10
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