書評日記 第604冊
ブラック・ティー 山本文緒
角川文庫 ISBN4-04-197004-0

 直木賞作家、という名目で買った短編集。
 
 解説で松本郁子が小さな罪について語るのだが、その文章も含めて多少退屈な気がしないでもない。厳しい言い方をすれば可もなく不可もなくだからこそ丁度直木賞に値する(と私は浅田次郎が取ったころから思い続けている)のかもしれない、と腑に落ちる。全二百ページの薄い文庫本に短編が十本入っている。一本あたり二十ページの量で起承転結をまとめなくてはいけないのだから、こじんまりと纏めてあったほうが作品としての出来はよくなる。が、反して冒険が少ない。全ての作品に合格点を与えることができるが、合格点でしかない。ちょっと優等生的な作品集と思われる。
 
 あいにく山本文緒の小説を読むのはこれが初めてだから相性も含めて――現在、「地の果て 至上の時」を読んでいることも勘定に入れて――たまたま手に取った本が肌に合わなかったのかもしれず又彼女の書く作品の質感が私にそぐわないだけかもしれない。実際、後者である確率は極めて高い。なぜなら、直木賞作家なのだから。
 冒険と書いたが、小説の空間を押し広げる要因は作者の意図と意図せざるものしかない。作者の意図とは自発的な実験小説であったり他に類を見ないものを作ろうという意思であったり自らの限界ぎりぎりで鬩ぎ会う言葉の遣り取りを楽しむ苦悩であったりする。意図せざるものは異種格闘技的な組み合わせであったりトリップであったり癒しや稀有な体験や霊的な意識であったりする。
 何も誰もが文学者ではなし文学に帰依する探求者ではなし同時に人生の開拓者でもないわけだから、小説一本書くために骨身を削る必要もなくミステリーやホラー小説のように――決してミステリーやホラーを卑下しているわけではないが――ちょっとしたアイデアと僅かに人とは離れた視点を以って社会現象らしきものを切り取って作品を作ってもいいのかもしれないが、何処か怠惰に見えるのは何故だろう。無論、悩むだけ苦しむ振りをしているだけでひとつも進まないのは以っての他で近づくものも近づかず得られるものをより遠くの幻想に置いてしまうよりもいくらかはいいのだが、職業的な文筆業に埋もれるのもいかばかりかとも思ってしまう。
 
 が、目を見張るべきものは鮮やかに十本の短編を小気味よく仕上げる技であって、内容的に深みがどうのこうのという薀蓄を垂れるものとは違う。と最近は思うようにしている。

update: 2001/03/09
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