書評日記 第607冊
課外授業ようこそ先輩 河合隼雄
NHK教育

 日曜日の夕方、ふとテレビをつけると「課外授業ようこそ先輩」を番組(や)っていた。「ようこそ先輩」ではその小学校を卒業した現在の著名人に後輩の小学生に対して授業をして貰うという企画である。本放送は土曜日の昼だったと思うので、おそらく日曜日の分は再放送のはずだ。しかも、たまたま電源を入れたテレビで河合隼雄が見られるとはふるっている。――最近、漠然とテレビを見る時間が増えてしまったのでコンセントを抜くことに決めた。ひと手間かけることで随分時間を有効に使えるようになった。再び本を夜に読むようになったのもそのお陰で、よき派生として毎日の書評日記も再開した。とはいえ、現在は午前三時ちょっと前であるが。
 いわゆる臨床心理学の第一人者。日本でユング心理学を広めている。私も染まった。数々の著作、はさておき、私が大学の頃いっかいだけ聴講した河合隼雄の講義は今でも印象に残っている。
 
 課外授業のテーマは「心から心へつたえる」であった。「心と心をつなげる」だったかもしれない。ほんの昨日のことなのに忘れてしまうとは甚だ情けないのだが、ともかく、自分の言葉に表せない心をどのように言葉で伝えていったらよいか、ということがテーマであった。
 河合隼雄の著作はやさしい言葉を使って書いてある。「影の現象学」のように難しいテーマであってもわかりやすく書かれているものが多い。昔話を題材にとって私の住まう日本人の場所を説明していく。西洋論旨では語りきれない東洋・日本のネイティブな感情あるいは、遺伝的ともいえる土着・風土・風俗に関わる問題。これらを如何にして相手に伝えるかと腐心する。
 心のこもった笛の音は単に一生懸命に吹いた笛の音とは違う。「一生懸命」という態度の中には相手に何かを伝えようとする努力も含まれるが間違えないように譜面に沿って演奏しようとする内向きへの努力が主である。これを技術的な面も確かに必要ではあるが、譜面に潜む音の調べが表現するものを聴き手に理解して貰おうとする、自分がこう感じたと思うものを目の前の相手に伝えようとする。それが相手に心を伝える行為となる。
 小学校六年間で起こった出来事、思い出、強く感じたことをボードを使って発表する。ボードには折り紙を貼ったり、絵を書いたり、文字を赤く塗ったり、作文にしてみたり詩を書いたり、読み方を工夫したりと、自分の気持ちをどうしたら相手に伝えることができるだろうかと工夫する。修学旅行の買い物で百円損して悔しかったことや運動会のリレーで逆転優勝したことや本をたくさん読み始めたことや海に沈む夕日がきれいであったことを、ボードに描いていく。
 あたりまえだけれども文字による一方的なコミュニケーションは自分だけの独りよがりの領域へと落ち込んでしまいがちになる。うまく伝わらない場合、聞き手の理解力不足をなじることもあれば、伝達したいことの難しさを理由にしたり、そもそもが理解されないことを理由にしてしまったりする。分かるひとだけが分かるという意味合いを持つ文章もある。
 しかし、決してひとりではない世界なのだから、不特定の人たちすべてに理解されるかされないかは別にせよ、ある特定の人たちに対して共感を抱いてもらうためには、こころが通いあうためには、伝えることに対する不断の努力が必要ではないか、と最近思う。書くことに対して伝えることに対して、私の思うことを聞き手に伝えようとする努力なくして何かを伝えようとしてはいけない。増して、伝わらないことを単純に嘆いてはいけない。としきりに反省する。
 ベクトルがあなたに向かっているときに何を受け取って貰えるのか。書き付けた言葉に何を込めるのか。どうして推考をするのか。どのような場面で私は言葉を選ぶのか。そういうことを最近よく考える。

update: 2001/03/13
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